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2011年4月 3日 (日)

「失敗の本質」がダメな理由 震災編

 天下の悪著「失敗の本質」を名著と思考する人々が、天災を人災に変えるべく日々鋭意努力している。

 失敗の本質がダメな本質的な理由は、この著作を名著と思考する条件は場面への対処を戦略と思考する点にある。

 即ち、天下の悪著「失敗の本質」には、盧溝橋事件から太平洋戦争終結までの日本には政治目的も戦争目的も戦争計画は存在せず、場面の対処しかしていないのである。

 このそれぞれの場面の対処に関して論じたのが天下の悪著「失敗の本質」である。これを戦略と思考することは戦略とは戦果の合算値であると思考していることである。

 即ち、彼等の思考では戦略とは、

 戦略=Σ戦果

 という式が成立するのである。

 本来は

 政治目的→戦争目的→戦争計画→戦略・戦術

 であり、戦果とは一切無関係なものである。

 今回の震災でいえば、東北地方の太平洋岸の県と茨城県に住む人々の生命の安全の保障と生活の再建並びに東京・神奈川・千葉の経済活動の早急なる復活が政治目的である。

 これが目的であるならば官政権は福島第一原発は対処能力のある米国に依頼し、早急なる廃炉を決定するべきであった。ここまで被害が広がる可能性は低かったと週刊誌等の報道では記載されている。

 東電は、週刊文春の記事によると自らの失態による福島第一原発のチェルノブイリ化を阻止しようと活動している全国の消防・自衛隊の人々にJヴィレッジの客室を解放せず閉鎖している。

 再開したときに消防や自衛隊の人々に汚されたら困るという理由である。

 東電当たりの企業であれば天下の悪著「失敗の本質」を名著と思考する人々が山といる会社である。そこで行われている事は「楽観的に思考し、楽観的に行動し、悲劇的結末を迎える」という盧溝橋事件から太平洋戦争終結到る日本陸海軍の思考や全共闘運動全般を貫く思考である。

 この失敗の最大の理由は目的の喪失と計画の不在である。

 ここに天下の悪著「失敗の本質」を名著と思考する人々には目的や計画は存在しない。ただ場面の対処が存在するだけである。

 本来の意味の目的や計画ではなく、場面の対処のための目的や計画である。

 その時、一番注目される戦場に全戦力を傾け、他の戦場の存在は否定されるのである。官政権の対応はこれに当たる。

 ガダルカナルとは、理論的に敗戦100%の戦場である。何故ならば行動の限界点を超えた戦場であるため、ガダルカナルやニューギニアで負けたのは不思議な話ではなく常識なのであるが、あの悪著を読んでもガダルカナルが行動の限界点を超えた戦場であるとは書かれていないため、間違った認識をガダルカナルの戦場に持つのである。また太平洋戦争全体でガダルカナルで戦う意味自体が存在しないのである。

 本来のガダルカナルの失敗の本質は、なぜ行動の限界点を超えた戦場で戦ったのかである。これはインパールの戦場も同様である。

 ガダルカナルもインパールも作戦の実行段階に関しては失敗すること自体は不思議な話ではないので作戦の決定形態が失敗の本質なのである。故にこの書籍を正しいと思考する人は辻や牟田口と同様の失敗を犯すことになる。

 今回の震災においてもこの書籍を名著と思考した人々が東条や辻や牟田口と同じ過ちを今回の震災でも犯している。

 このガダルカナルやインパールの戦場と化しているのが福島第一原発の現状である。

 原発問題もうまくいけば再利用と思考せずにここに時間と人手をかけるよりは他の地域へ人を回すべきであり、日本よりは米国にはこの様な問題に対処できる能力があるため、最初から協力を言うオバマ政権に依頼すべきであった。

 福島第一原発は現代のガダルカナルやインパールの戦場となり、同じ事態を迎えようとしている。これは「失敗の本質」を名著と思考する人々の思考なのである。

 場面対処能力が高い人にとっては「失敗の本質」は名著であるが、これは戦略否定本である。

 例えば将棋は、詰将棋の合算でも将棋は指せるが決して名人にはなれない。名人になるには数百手読む必要性がある。この為、アマチュアの将棋指しは左脳で将棋を指すが名人戦に出る将棋指しは右脳で将棋を指すのである。

 場面の対処では詰将棋や趣味で将棋は指せるが、将棋のプロにはなれないのである。

 天下の悪著「失敗の本質」を名著とする有名人に勝間和代氏がいるが、彼女はダメンズウォーカーとしても著名な人物でもあるのは、同じ意味である。

 彼女は優秀な場面対処能力があるため現在の地位を築いたが、優秀な場面対処能力があるためダメンズウォーカーでもあるのである。

 これは両論併記なのである。

 彼女の書籍の特徴は場面の対処を戦略と称する事である。彼女からは目的が存在しないのである。常に手段を目的としている事である。

 資格等を取り会社を変わり年収が上がりました。

 では年収が上がって何を目的としているのかが不明確なのである。常に手段が目的化するのが勝間本の正体である。

 将棋でいえば、詰将棋の合算でしかないのである。

 勝間本とは、

 戦略=Σ戦果

でしかないのである。

 この思考力が震災を人災化させているのである。

 東電の福島第一原発への対応も

 戦略=Σ戦果

 官政権のこれまでの対応すべてが

 戦略=Σ戦果

 官総理が無意味なパフォーマンス視察を繰り返し、より甚大な人災に変化させようとしているのも

 戦略=Σ戦果

 である。

 天下の悪著「失敗の本質」を貫く思考も

 戦略=Σ戦果

 なのである。

 故に、行動の限界点を超え、戦略・戦術的には何度やっても失敗した戦場でしかない戦場の現地詳細が書かれ、真の失敗の本質である作戦の決定形態が書かれていない理由は、

 戦略=Σ戦果

 だからである。

 天下の悪著「失敗の本質」が本来大失敗な真珠湾攻撃を成功したと書く思考も

 戦略=Σ戦果

 故である。

 本来真珠湾攻撃は大失敗な作戦である。これは真珠湾攻撃後アメリカ太平洋艦隊司令長官になったニミッツ自身が言っている。

 真珠湾に着任後ニミッツは「我々はラッキーだ、何故ならば機動艦隊がここにいなかった。機動艦隊が攻撃されれば2-3年は太平洋で日本海軍は暴れまわるであろう。しかし、我々は本当にラッキーだ、何故ならば石油備蓄設備は破壊されていない。ここが破壊されれば永遠に太平洋は日本の海になったであろう」。

 この意味は

 機動艦隊=戦術目標

 石油備蓄設備=戦略目標

 実際に日本が破壊した艦艇=戦果

 なのである。

 天下の悪著「失敗の本質」において真珠湾攻撃が成功した作戦と記してあり、これは著者等や愛読者たちが、

 戦略=Σ戦果

と思考しているためである。

 故に真珠湾攻撃と同じアメリカ機動艦隊を作戦目標とするミッドウェイ作戦を描きながら真珠湾を成功したと書くのである。

 本来は、最初に書いたように

 政治目的→戦争目的→戦争計画→戦略・戦術

であるのだが、天下の悪著「失敗の本質」の愛読者たちは、戦前の日本陸海軍の将校たちと同様に

 戦果→戦略・戦術→戦争目的→戦争目的→政治目的

となっているのである。

 目的や計画・戦略・戦術が存在しないため、

 今行われ注視されている戦場の戦果が重視されるのである。

 今回の震災が人災と化しているのは、この

 戦略=Σ戦果

と思考する思考力である。

 例えると天下の悪著「失敗の本質」の愛読者にとって、三国志の蜀の国の最高の戦略家は最高の戦果を上げられる張飛であり、最低の戦略家は戦果を上げられない孔明である。

 この戦略=Σ戦果と思考するのは、兵隊の思考力なのである。

 故に「日本兵は世界一優秀だが、中級指揮官狂信的、高級指揮官世界一無能」と言われるのは、この思考は故の結論である。

 先に上げた勝間氏は二等兵として素晴らしく優秀なので著名な存在となったが、指揮官・参謀としては無能なのでダメンズウォーカーになるのである。

 これは資格試験・入学試験等で選抜されるテストの特徴は習った事を理解することではなく、記憶した事を再現する事である。

 即ち、資格合格や入学試験で問われるのは理解力ではなく、全く理解できていない能力である。理解できなければ理解できないほどに試験合格率は高まるのである。

 言われたことを無批判に受け入れる能力が高ければ高いほど資格試験や入学試験に通りやすいし、企業に入社して数年間必要な能力は同じ能力なのである。

 逆に参謀や指揮官に必要な能力は理解力である。

 ある出来事を記憶するのではなく、一見全く無関係なものを結び付けたり、一見関係のありそうなものの関係をはがす作業である。

 この力が見えないモノを発見したりする能力なのである。

 その意味でいえば、日本は高等文官試験を行って以来この能力を持つ人々を排除する事を主眼としているのである。

 盧溝橋事件から太平洋戦争終結までで言えば、陸軍はこの間の最高の指揮官と誰もが認めた石原莞爾はこの間予備役に入っていたし、海軍は山本五十六が「巡洋艦戦隊と堀悌吉の頭脳とどちらが大切かわかっているのか」と言われた堀悌吉は予備役のままだった。

 作戦の成否は人材の活用である。

 陸海軍ともに最高の人材を予備役に編入した。これこそが真の失敗の本質である。

 今回の震災においても官内閣は無能故に問責決議を可決された仙谷氏を復活させ、民主党内で最も能力のある小沢氏を党員資格停止状態に追い込むのは、まるで戦前の陸軍の様にノモハンで失敗した服部卓四朗と辻政信を参謀本部作戦部長と作戦課長にし、石原莞爾を予備役に付けて置くようなものである。

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