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2010年4月18日 (日)

鳩山由紀夫の政治を科学する 高橋洋一・竹内薫共著

 須田慎一郎氏との共著を先に読んだため、高橋氏の物理学的センスを疑ってしまった。高橋氏は、やはり優秀な経済学者である。
 私自身共著者のレベルの低さに惑わされたのかもしれない。
 しかし、高橋氏の現状における最適解の出し方は見事であるが、歴史を多少無視している所もある。
 即ち、今の政府は官軍が作ったという事である。
 首都圏の医療問題の本質は千葉県・埼玉県・神奈川県・山梨県は基本的に賊軍の居住地である事が医療問題の本質である。
 官軍と賊軍の簡単な区分けは県名と県庁所在地が同じところが官軍側で、県名と県庁所在地が違うところが賊軍側(但し福島県・青森県は除く)である。
 西日本は、旧藩領と現在の県は、官軍側に賊軍側が加わり県である。
 広島県は安芸と備後が合体し、安芸の藩庁のあった広島が県名。岡山は備前・備中が合体し岡山である。
 これに対して、東日本は旧藩領と県域が殆ど一致しない。東日本の県域は殆ど中東の国境ラインと同じで、官軍側が勝手に線引きを行った。
 医療費・教育など全て西高東低である。中国地方と四国地方を結ぶ本四架橋は3本も通っているのは官軍サイドの県が望んだから3本かかるのである。
 これに対して賊軍サイドは頼んでも頼んでも新幹線はなかなか来ないのである。鹿児島の西南戦争を起こさなければ九州新幹線は東北新幹線より早くフル規格で着工したことであろう。
 予算は一度決まるとなかなか変更できない。
 この意味でも、真の政治改革と官僚制度改革は、大久保利通公の政治に対する改革であると認識することからはじまるのだが、まだその域まで来ていない。
 故に日本国の政策は富国強兵であり、有司専制なのである。
 この点に関しての認識が高橋氏をはじめとする人々の視点の大いに欠ける点である。

偽りの政権交代 高橋洋一・須田慎一郎共著

 私は、著作を読んで高橋洋一氏を日本で数少ない経済学者と呼べる経済学者であると考えているし、高橋氏は経済学者ではあるが、基本的にはそれだけの人で官僚や代議士としては余りにも可愛い人なのである。その点も高橋氏の著作を読む理由の一つである。彼が可愛げのない人であれば、今でも官僚であり続けたであろうし、場合によってはアメリカで経済学者としての道を模索していたのかもしれない。
 可愛い人なので官僚を止め、日本で著述業をしているのであると考えている。
 相方の須田氏は長年田原総一郎氏のサンデープロジェクトにいた人である。田原氏は佐藤優氏がいう権力党の住人であり、その周辺にいる須田氏自身も権力党の周辺に住む人々の一員である。彼が数年前結婚した時、その披露宴には取材先の幹部達が多数来賓したという記事を読んだので、その意味でも権力党の準構成員と見るべき人である。
その権力党の最大の排除したい人物の筆頭が小沢一郎である。
 二人ともかなりベクトルがかかっている為、そのベクトルを取り除きながら読まなければならない。
 これは、最近話題の副島隆彦氏の書いた世界権力者人物図鑑と同様である。
 副島氏は陰謀史観の好きな人であるが、私はこの世に陰謀は存在しないが詐欺は存在すると考えている。詐欺から身を守る唯一の手段は法的思考力を高める以外に手はない様に、他者の詐欺行為から身を守れない人が陰謀と言うだけである。陰謀とは詐欺にかかった愚か者言う科白である。
 例えば、太平洋戦争開戦はルーズベルトの陰謀であるというが、的確にはルーズベルトの詐欺行為にかかった愚か者が外務省・陸海軍省の人々である。ルーズベルトは、ドイツと戦争をしたかった、しかし、ヒトラーはルーズベルトの手に乗る様な愚か者でなかった、この為、ルーズベルトは愚か者である日本政府を詐欺行為にかけたのである。
 即ち、このルーズベルトの詐欺行為から逃れる手段は、民主主義における選挙公約の意味と契約書における日付の意味を理解していれば太平洋戦争は開戦しなかったといえる。
 即ち、ルーズベルトの3選目の公約である「アメリカから戦争を仕掛けない」という点と「ハルノートに完了日付はない」この事がルーズベルトの詐欺の全貌である。即ち、この2点を理解していれば太平洋戦争開戦という愚は避けられたのである。
 しかし、現在の日本もこのルーズベルトの詐欺行為は理解できないのである。副島氏は陰謀論を言う前に師である小室直樹氏の著作を熟読し頓悟すべきである。
郵政民営化はある意味正しいが、現状では民営化しても官営のままでも破綻は免れないのでどちらも不正解な回答であると考えている。
 郵政改革に関して読むとどちらにしても、小泉系官僚系のどちらが薄汚いドブネズミなのかを競っているだけの話である。
 官僚依存に関しては、現状ではどちらにしても官僚依存から脱却できないというのが結論である。
 何故ならば、日本にはアメリカの様なシンクタンクが無数にあるわけではない。つまり官僚の代わりになる人材が存在しない。そのためどの党が政権を取ろうと官僚依存から脱却できないが、自己の政策を実現するには財務官僚と警察・検察官僚を味方に付ける以外ない。
 これは分かりやすく言えば、ナポレオンはタレーランの首は切れてもフーシュの首は切れない。そしてフーシュは、帝政・共和制・王政の何れも警察官僚であり続けた点にある。
 故に官僚の代わりの人材を育てていない日本においては、官僚依存からの脱却は夢物語にもならない単なる痴人の戯言にすぎないが、警察・検察・財務の3官僚を握れば、自己の政策は実現可能である、何故ならば、どんな人でも微罪は犯している、故に日本国内に住む人で逮捕されない人は存在しない。
 そして逮捕できれば、どの様な捜査も可能であることは、高橋氏自身が経験済みの話である。
 オープンスカイに関しては、官僚の権益問題と言うよりは、このブログで何度も言っているが、文科系大卒全共闘世代の固有の問題である。
 ええかっこしいのどうしようもないバカの前例周到主義というのが、文科系大卒全共闘世代の固有の思想である。
 文科系大卒全共闘世代というのが如何にどうしようもないクズであるかは、この世代の漫画家弘兼憲史氏の島耕作を読むと良く分かる。
 ゴルフをするぐらい暇ならば役員を止めろという日本電産の永守会長をモデルにした人物は、この作品の中ではゴルフ愛好家に様変わりしているし、他人が芸者を揚げて接待を批判しているのに自分は役員会を芸者を揚げて行い、秘書を連れて平日ゴルフにクルージングという会社の私物化を正当化する作品である。
 この島耕作の持つ公金横領精神が文科系大卒全共闘世代固有の思想である。
 高橋氏が指摘する近視眼的思考も、この文科系大卒全共闘世代固有の思考である。
 この文科系大卒全共闘世代と他の官僚を分けなければならないが、この文科系大卒全共闘世代をメンターに持つ人々も基本的に文科系大卒全共闘世代固有の公金横領精神を有する事になる。
 前原大臣に関しては、当初私は知っていて裏切るタイプの人間だと考えていた。即ち前原大臣は人並みのおつむが存在すると考えていたが、半年たって分かったことは彼は九官鳥としては優秀だが(だから京大に入学した)、人としては単なるバカである。
 彼は裏切る意思があり、裏切るのではなく、バカだから結果的に裏切るのである。
 故にネットではユダとか平成の小早川秀秋とか歩くトロイの木馬などと書かれているが、この表現は的確な表現とは言えない。
 JALを再建するためにもオープンスカイは必然条件となる。オープンスカイでなくては、切る路線を選択できない、故にJALは最終的には今回の再建策は潰れ、最終的には法的整理による解散が妥当なラインかもしれない。
 高橋氏と須田氏の言うJALとANAの違いは、間違いで、的確には組んだ航空会社チームの違いがJALとANAを分けた原因とみるべきである。
 即ち、ANAは国内強者と海外路線チョコットという航空機会社のチームであるのに対して、JALは国内弱者で海外路線はJAL主体のチームと組んだ結果、リーマンショックで海外路線はボロボロになり、元々ボロボロだった国内路線もよりボロボロになり、ボロボロの二乗になった。
 故に、JALはボロボロの国内路線を捨て、海外チョコット航空会社のチームと組み直しANAと似た体制を作るべきであるが、まず国内のボロボロ路線は潰せない。
 故に、JAL債権の必然条件はオープンスカイであるが、これは国交省の反対で出来ないので、清算が妥当な判断である。
 P154で取り上げられた八ッ場ダムの話は、私は中止すべきであると考えている。もし、八ッ場ダム単独の問題であれば高橋氏のいうとおりであるが、このダムには品木ダムというローディングコストがかかり過ぎるダムとセットのダムが存在している。
 この品木ダムという水質浄化ダムが存在しなければ、八ッ場ダムのコンクリートは溶けてなくなるので、八ッ場ダムを造るとこのダムは永遠に稼働しなければならないダムである。この他の点でも高橋氏の弱さが出ている。
 高橋氏の弱さとは、現代経済学には数学的側面と物理学的側面と工学的側面の3種類が存在する。高橋氏の持つ数学力は経済学の数学的側面に関しては圧倒的強さを発揮するが、他の2つの側面では弱さが出ている。これは彼が元々数学者である点にある。アメリカの経済学者であるサミエルソンやフリードマンには物理学的側面が強く表れている様に感じるが、金融工学等では工学的側面がある。
 これは誤りではなく見方の違いの問題である。
 他の日本の経済学者やエコノミストの様に科学と技術の違いが理解できない程低レベルなレベルの話ではないので、本当に優秀な経済学者である。そして、政治とは数学よりも物理学や工学に近い世界の話である。
 故に高橋氏はP144の題目の様な「背景にあるのは民主党の自民党潰し」は、問題ではない。政治の物理学的側面が色濃くでているのである。作用が働けば反作用が働くのは、ニュートン物理学の基本である。自民党という作用が働けば、反作用は自民党潰しというものが発生するのは必然的出来事であり、世界の政治の歴史は、数学的側面よりは物理学的側面や工学的側面が色濃く反映しており、数学的側面は一切反映していないのである。
 P161にある「検察官僚は他の霞が関官僚とは少し違う。基本的には法曹資格をもった有資格者だから、退職後、組織に天下りの世話になる心配はあまりない。」と高橋氏はいうが、この高橋氏の認識の甘さが竹中平蔵氏に利用される素地になっている。
 何故ならば、検察官僚がいくら法曹資格を有していると言っても彼らは霞を食って生きているわけではない。出来るだけ楽して儲けたいのは検察官僚も同じである。
 監査役として、他の官庁の監督権限を有する企業に天下るのである。また、高橋氏のいた財務省は司法試験合格者が多数存在する官庁であるが、だからと言って彼らが退官後弁護士として食べていくわけではない。通常の官僚と同じ天下りのルートを描いて生活していくのである。
 何故ならば、弁護士として生活するより、天下りを行う人生の方が遥かに効率よく金を稼げるのである。これは工学的側面の話である。
 この人間の本質を理解していない点が、高橋氏の可愛らしさである。
 P164の「政治資金規正法違反には厳罰を与えるという姿勢で臨むのではないだろうか」は、完全な誤りである。検察も官僚機構であり、政権側(自民党サイド)に有利に働いているので、自民党の代議士には小沢氏より違法でも不起訴処分にし、民主党サイドには秘書の逮捕まで行っているし、検察審査会にしても小沢事件に関しては参院選前に起訴が妥当という結論を作りたい為急いで行おうとしているが、森田千葉県知事に対する検察審査会の動きは蟻が歩くより遅く動いているのは、高橋氏のいう事に大幅な過ちが存在する点にある。
 P169にある藤井前財務大臣の辞任に関して言えば、藤井前大臣は、与謝野氏と同じである。
 即ち、与謝野氏は衆院選挙前には埋蔵金は存在しないと言っていたが、衆院選挙が近付くと埋蔵金があると言い、埋蔵金を使った衆院選挙対策を行った。これに対して藤井前大臣は、選挙前には埋蔵金はあるあると言った為(当初は衆院選挙前に引退であるため、言った者勝ちと考えたのか?)鳩山総理は、藤井前大臣に引退を待つように言い、選挙後藤井前大臣が言った埋蔵金を掘り起こそうとしたのだが、藤井前大臣は大臣になってからは高橋氏が言うように財務官僚のDNAが財務省の組織防衛に走ったため、藤井前大臣の選挙前の“あるある詐欺”にかかった民主党は、その為の予算を考えていたのが、藤井氏の大臣になってから“本当は埋蔵金はなかった”という言い分の為、藤井氏としては大臣を止めるタイミングをはかって、自民党シンパから、小沢バッシングに利用できるコマになるタイミングで大臣を止めた人なので、高橋氏や須田氏が擁護するのは当然の行為である。
 須田氏と高橋氏は、「小沢氏は選挙以外に興味がない」というが、これは全ての議員に言える話である。
 全ての議員は、選挙以外に興味はない。
 何故ならば、選挙結果=権力である。
 小泉氏が、小泉政権が終わった後も影響力を残したのは、郵政選挙で勝ったからである。選挙で勝てない総理など、議会制度下では“人間のクズ”と同じ意味でしかない。
 安部・麻生が総理になったのは選挙に勝てそうだからで、福田氏が総理になったのは間違っても解散しないからである。
 小沢氏を悪魔と罵った野中氏は、民主党政権下で全土連への金が、これまでの予算から半減をされたのを受けて、野中氏は小沢氏に誤ったが、許してもらえるはずもなく全土連の予算は削減された。
 選挙で勝つとは、自分の行いたい政治を実現する必要最低限度の手段である。
 そして、安定政権になり、政権が長期化すれば、如何に財務省と言えども、民主党の言う事を聞かなければならない。
 小沢氏が、現在の段階において選挙以外に興味がないのは、議会制度における代議士の最低限度の常識である。
 これを問題とする高橋氏と須田氏は、議会制度そのものが誤っていると言っている事に気が付いていないのは、高橋氏は官僚出身の人という点が出ており、須田氏は権力とは権力党の住人が持てば良いと言っているに過ぎない。
 前原・枝野・仙石・野田という民主党のアホ達は、アホ故に政策には時間がかかるという単純な話が全く理解できないスーパーアホの為、政策を行おうとするが、短期間に政策は全く動かない為、結局全員小沢氏にオムツを変えてもらわなければならなくなっているのに、完全無欠の能無し故小沢批判を繰り返しているのである。
 高橋氏は政治主導の意味を理解していない。
 政治主導とは、党が自分の官僚機構を持つ(米国式)か、官僚が完全に第三者になる(英国式)かである。その何れの道も現在は全く道筋は見えない為、政治主導が出来ないのである。
 また、脱官僚とは、脱キャリア官僚でしかないという事は、米国式の道を模索するしかなく、この意味で言えば、政治主導も脱官僚も大久保政治からの脱却以外の意味は存在しない。
 私は、日本は0代内閣総理大臣に大久保利通公が付いて以降、伊藤博文以下の全ての総理大臣は、0代内閣総理大臣大久保利通公代理でしかない。
 この意味を理解することが、政治主導であり脱官僚である。
 P197当たりの高橋氏の話を読んでみると、小泉氏は徹頭徹尾大蔵族の族議員以外の何物でもなかったと言える。
 P208からの事業仕分けに関しては、枝野がただバカなだけで、きちんと制度の組み換えを行うには、政党交付金を廃止し、政党系シンクタンクを作り、政党系シンクタンクに費用を充てるべきであり、50人以下の政党に対しては政党系シンクタンク費用は当てないという方式に変えるべきである。
 民主党・自民党の過ちは、自分達の頭脳を持たない事が最大の失敗である。
 この意味で言えば、20年位前にマクナマラが宮沢に提案したシンクタンクを20位作れという提案の意味の凄さがわかるものである。
 高橋氏は、事業仕分けに関して批判しているが、高橋氏は数学的思考センスは高いが、物理学的思考センスは限りなくゼロに近い事がこの事業仕分けの批判内に滲み出ている。
 何故ならば、高橋氏は元々財務官僚として20年余り暮らし、その後竹中氏について行ったのだが、高橋氏は霞が関文学が読め、尚且つ制度改革をする意思を有していた人であるが、この高橋氏の様な存在が稀有の存在なのである。
 普通の官僚は、出身組織に忠実な存在である。これは過去官僚も同様である。藤井元財務大臣の様に選挙前は“埋蔵金はあるある”と言い、大臣就任後は過去官僚意識が再発し“埋蔵金はないない”にカメレオンのように色を完全に変える人もいる。
 現在日本で霞が関文学が読め、制度改革の意志を有し、過去官僚でない人が高橋氏を含めて存在すると言えるのだろうか?(私は高橋氏は今でも財務省の過去官僚であると考えている。彼は反主計局派である事は間違いないが、官房派ではないと言えない所がある。)
 そんな人間は存在しないのである。故にその様な存在を作らなければ成功しないのである。
 その為に政党系シンクタンクが必要なのである。
 政党系シンクタンクが存在しない現在においては、あらゆる批判は戯言の類で、事業仕分け人だった枝野氏等は単なるボケだけ漫才師の類でしかないと言える。事業仕分け人を務めた民主党ボケだけ漫才師軍団は成功したと喜び、漫才師の一人である枝野氏は、同じ事を特殊法人でやろうとしていると雑誌や新聞に書いてあるが、天然自然のボケはどこまで言っても天然自然のボケの様である。
 P230からの高橋氏の財務省に関する話は、話半分として考えている。何故ならば「高橋は三度殺しても足りない」と本当に思っているのならば、高橋氏は本当に三度殺されることになる。
 何故ならば、財務省の最大の強みは税務署を抱えている事である。これが財務省の最大の力の源泉である。
 もし、本当に高橋氏を潰そうと思えば、現在この本を出している講談社に税務調査に入ればよいのである。
 高橋氏が書く雑誌・本などありとあらゆる出版社に税務調査に入れば、誰も高橋氏を使う人などいなくなるので、日本で著述業そのものが出来なくなる。
 高橋氏のあらゆる生活に必要な賃金を得る手段を断つ事が財務省には可能なのである。なのにそこまでしていない事は、高橋氏に利用価値を見出しているし、それに高橋氏が喧嘩を売るのは常に主計局であって、官房には喧嘩を売らないのであるし、財務省より他の省庁に喧嘩を売るケースが遥かに多いのである。
 小さな政府では、最も影響力を持つのは、財務省の官房派である。逆に大きな政府では財務省主計局派である。
 どちらにしても力を持つのは財務省である。小さな政府になっても丸丸生き残るのは、財務省・防衛省・国家公安委員会だけである。他の省庁は全部総理府の局になる可能性が高い。
 分かりやすく言えば、大きな政府の旗振り役は財務省主計局であるのに対して、小さな政府の旗振り役は財務省官房という事になり、どちらの状態も旗振り役を務めるのは財務省である。
 P262の高橋氏の言う説を実現する方法は、国家公務員採用試験をⅡ種Ⅲ種はそのままとし、Ⅰ種試験を資格試験にすればよいのである。そして政策秘書の試験と組み合わせる。最後にメンバーをもっと広げていくのである。
 肝は、一挙に内閣人事局採用にするのではなく、まずⅠ種採用試験を資格試験に資格合格者の中から各省庁が採用する。第二段階に政策秘書の資格試験と合流させ、第三段階に政治任用枠を作るのである。
 第一段階の採用試験から資格試験であれば、各省庁間の反対は少ないという事が肝心なのである。
 この点、渡辺氏は、文科系らしい誇大妄想狂だった為失敗した。高橋氏は数学者らしく誤差や変数を嫌い失敗した。ここで必要な能力は物理学や工学的センスである。
 物理学や工学には、最初から変数や誤差が存在する事は決まり切っているのである。
 月にロケットを打ち上げるのに対して、空も飛んだことないのに渡辺氏は手に翼を持ち羽ばたかせたら月に行けると思考し、高橋氏は最初から月到達ロケットを作ろうとした。
 即ち、月へ行くには、いきなり月ロケットを作るのではなく、ロケットの形、エンジンの選択などありとあらゆる事を行うのだが、そこには常に月へ向かうロケットという目標を描きながら月ロケットの形を作り上げていくのである。
 代議士達や高橋氏達が失敗した最大の理由は、文科系と言う名の誇大妄想狂と数学者故に失敗したのである。
 物理学センスや工学センスが必要不可欠な知恵である。
 P264にある須田氏がたたえる歳入庁構想は合理的な構想ではなく非合理な構想である。何故ならば新たに番号を作らなければならないのかに関しては非合理この上なく、社会保険庁が犯した記録漏れは、社会保険庁の職員の怠慢ではなく、社会保険庁と言う組織のシステム設計に重大な欠陥があった為発生した問題である。現在住基ネットが存在する為、新たに番号を起こさなくても番号は存在するのである。これを日本全国に広げる為には、住民票に電子マネー機能を持たせた住民カードを作成し、この住民カードに子供手当を電子マネーとすれば(住基ネットに反対の首長も子供手当がこの形式で入るのならば反対できない。反対すればリコールにしかならい)、過疎の老人以外住まない村以外はすべて住基ネットが成立することになるので、新たな番号は不要である。そして年金等を地方自治体に集めさせ、その管理だけを国税庁を拡大させた歳入庁にするのならば、財務省も反対しないだろう。
 その代わり社会保険庁は廃止であるが、公務員の身分保障があるので、社会保険庁の全職員は陸上自衛隊に出向させ一切訓練をすることなく、アフガニスタンかイラクかソマリアへ一括派遣すれば、大半の職員は自主退職することになる。
 P266にあるが、須田氏は本当に頭の悪い人である。良くこんなに頭が悪いのだろうか?
 頭が悪くなければ、単なる嘘つきなだけである。
 何故ならば、公務員制度改革とはキャリア官僚改革であって、ノンキャリアは最終的には関係する(それもかなり時間がかかる為、殆ど採用抑制で事が足りるのである)が、現時点では一切関係なく、今言われている公務員制度改革に官公労の反対は考慮に入れる必要性がない。キャリア官僚改革だからである。なのに須田氏は全ての公務員を入れて話すのは嘘つきか頭が異常に悪いのかの何れでしかない。
 また、補助金が減り役所に戻ったとしても、それまで雇っていた総数は増えることはない為、人件費が余分にかかることはなく、ただ単に事務コストが減るだけである。また、キャリア官僚の渡り退職金が減るので人件費は下がることになる。これでは須田氏はジャーナリストという嘘ぽい肩書は捨ててキャリア官僚ポチという仕事に相応しい肩書に変えるべきである。
 P279にある須田氏の奥田氏批判は論外である。須田氏は奥田氏が自分と同じキャリア官僚ポチだと思っていた奥田氏が、キャリア官僚ポチでないことを晩節を汚したと言っているが、奥田氏はあくまでもトヨタ自動車の経営陣の一角を占めているのである。名誉も大事だがトヨタ自動車はもっと大事なのである。
 民間企業の人は、須田氏と違ってキャリア官僚色はないのである。あるのは企業色しかないのである。どの様な政権であろうと仲良くするのが民間企業の人間である。
 政治・経済ゴロと民間人を一緒にする事は最初から無理な話である。
 須田氏の言う記者の能力に関しては、財務省だけではなく全省庁に言える話である。刑事事件は警察や検察の話を聞かなければ記事が書けないため、警察や検察が推定有罪原則に先祖返りすると新聞もテレビも推定有罪原則に走り報道するという現在の事件報道に関しては法学部の法学知識の欠如にあり、経済に関して言えば、現在の経済学は高橋氏の様に理工科系学部を優秀な成績で卒業できるだけの能力がないと現代の経済学はちんぷんかんぷんにしかならない。特に日本の新聞社やテレビ局に入社するのは文科系学部出身者であるため、リーマン・ショックの折に金融工学を取り上げるのだが、当事者がきちんと話しているにも関わらず、自然科学と工学の相違点も理解できない報道を行っており、NHKのマネー資本主義や堀紘一氏の書いた本などは、簡単に言えば核融合炉が暴走した事故を太陽が問題だという風に発言するようになる。この同類である記者に経済記事などは本来一切書くことは出来ないのだが、書けるのは官僚の書いてある通りに書くしかないからである。
 記者もシンクタンクに勤めている人も大半は文科系である。文科系の人々に現在の経済学・法学・社会学を100年勉強しても無駄な時間にしかならないし、シンクタンクは大半が金融機関の子会社だし、政府関係の仕事は役所からの発注である。
 自民党が浮上できない原因は、昔の自民党は1世議員や事務次官候補の官僚がいたが、今の自民党は世襲議員と事務次官のパパに頼んで出身官庁に肩書だけの課を作ってもらい出てきたダメ官僚とか2度も1年で移籍した女性ダメ官僚とタレントダメ学者しかいないのである。
 これに対して、民主党は1世議員と高橋氏の批判はあるが事務次官候補の官僚がいるのである。
 これで自民党が浮上することなどあり得ないのである。
 自民党の大物議員の大半は文科系大卒全共闘世代であるためダメなのは当たり前の話でしかない。
 文科系大卒全共闘世代は、目立ちたがり・不勉強・強い自己愛・社会性の欠如が特徴であり、高橋氏のいう町村氏は文科系大卒全共闘世代の特徴を十二分に示している。
 そもそもここ20年位の自民党の議員に政策論争はまず不可能である。本来であれば、自社さ連立政権とはゾンビ自民党政権以外の何物でもなく、権力の保持ができれば後はなんでもありが自民党の基本方針になっため、政策は野党案丸のみという本来に政権政党としてあるまじき行動をとってきたのである。
 この様な状態を20年続けられる事は、自民党にはまともな議員が一人もいない事を示している。自民党議員では杉村氏が有名になったが、ここ20年位の自民党議員は全員が杉村氏化した結果、杉村氏は自民党議員になったと見るべきである。
 離党した与謝野氏が本当に頭がいい(地頭が良いのならば)、渡辺氏や河野氏に反論する事が出来たし、ましてや“立ち上がれ日本”などというどうしようもない名前など付けずに“じいじいばあばあ党”と名乗れば良いのである。
 このセンスのなさを含めてみんなの党やたちあがれ日本党や自民党の所属議員は全員杉村化していたとみるべきである。

2010年4月 5日 (月)

SONYらしさ

 前にTV東京のルビコンの決断という番組でSONYを取り上げていたが、この番組でSONYの社員が常に「SONYらしさ」という言葉を使っていたが、この番組を見ていて思ったのは、井深大や盛田昭夫時代の評伝と比較するとまるで違う会社になった象徴が「SONYらしさ」という言葉である。

 盛田時代には、盛田氏は当時流行っていたナンパ雑誌であるホットドッグエクスプレスを熟読し彼らが欲しがる製品を出す事に精力を傾けており、そこにはSONYらしさなどという分けの分からないものを持ち出したりしなかった。

 即ち、SONYは盛田時代には、市場に対して対等に向き合っていたが、大賀時代・出井時代にSONYは、分けの分からないビジネスモデルを持ち出したり、何を目的としているのか分からない「SONYらしさ」という、市場に喧嘩を売る会社になったようである。

 「SONYらしさ」という言葉には、どこにも市場や消費者というものが一切存在せず、ただ我が道を行くという傲岸不遜なイメージしか出てこない。

2010年4月 4日 (日)

自由民主党とは

 自由民主党とは、何だったのだろうかといえば、戦前の遺産で食べるだけの能無しのボンクラボンボン政党であるといってよい。
 現在の官僚制度は、小林英夫教授や野口悠紀夫教授の言うように石原莞爾がプランを立て宮崎正義が形作った総力戦向けシステムであり、途中東条英機一派の無能集団により敗戦の混乱を迎えるが石原の予測通りアメリカに対抗できる経済力と技術力を有するまでになったため、戦後の経済復興は自民党の手柄ではない。
 その技術力の基礎になった造船と自動車、新幹線は戦前の大和やゼロ戦などの航空機に大蔵省の反対を押し切り多額の国家予算を付けた海軍省の遺産である。
 昔大蔵省の東大法学部首席卒業・司法試験合格・国家公務員上級職試験首席合格という栄誉を受けたバカが“大和建造をバカ査定”と論じたが、本来は論じた方がバカであった。
 戦艦大和を建造は、戦後の造船国家を作り出し、また、大和建造は、戦後の多くの巨大プロジェクトの計画作成のモデルとされた。
 即ち、大蔵省キャリア官僚のバカが、バカ査定と呼んだ戦艦大和は建造費の数百倍の税収を国家にもたらした。
 この様な、将来の日本の為になるプロジェクトを一切自民党政権は作り出すことが出来ず、ただ自分の資産を増やす為だけに政権に居座った泥棒集団でしかない。
 バブル崩壊までは、高い成長率を誇っていたため、国民は泥棒集団のおこぼれに預かっていたため、自民党と言う泥棒集団の問題点は、誰も問題にしなかった。
 バブル崩壊以降、国民は泥棒集団のおこぼれに預かれなくなった。
 そして、小泉政権は、自分の周りだけ利益に預かるという行為に走り、国民は一切のおこぼれに預かれず搾取されるだけの存在になった。
 現在、民主党政権を批判している全国紙やキー局は、この自民党という泥棒集団のおこぼれに預かっていたからである。
 このおこぼれを示す最大の特徴は、各全国紙やキー局のある土地の全ては、元国有地である事が、各全国紙・キー局が自民党と同じ穴のムジナの泥棒の一味である事を物語る事実である。
 現在問題視されている理系離れも自民党という泥棒たちのおかげである。
 何故ならば、子供達に明るい技術開発プロジェクトを出すことが出来なかった自民党という名の泥棒達の成果である。
 科学の明るい未来を自民党が出すことが出来れば、子供達は理系離れという事を起こすこともなかったであろう。
 自民党という泥棒達が行ったことは自分の選挙区に道路を作りキックバックさせることだったり、八ッ場ダムの様に毒水の川を飲料用ダムだという行為が、自民党という政党の本質を示している。このダム上流に品木ダムと言う毒水中和ダムを造るという税金をまるで自分の財布の金だと考えなければ到底考える事が出来ないダムを作っている。
 そして、全国紙・キー局と組み“夢よもう一度”という離党組やみんなで泥棒という政党も出てきている。

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