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2010年2月21日 (日)

放火魔兼消防士

 新聞社やテレビ局に勤めたり、テレビでコメントしている記者とは、放火魔兼消防士ではないのかと思えてくる。
今回の小沢問題において、新聞社やテレビ局の記者やテレビに出てくる元記者達は、推定無罪の原則を無視し、あたかも日本の法律は推定有罪で成り立っているとでもいいたげなコメントを行っている。
冤罪事件の報道で名を上げた元記者も朝の番組では、あたかも日本は推定有罪が原則のごとき発言をしているのを見ると、この元記者は冤罪作りのプロで、まるで放火魔が消防士を兼務している様な印象をうけた。
これでは、この元記者は、自分で冤罪事件を検察と一緒に作り出し、冤罪がばれたら検察を犯罪者扱いするという活動が、この元記者の取材活動というものなのかと思えてくる。
私が外国政府の司法担当責任者であれば、自国民が日本で犯罪を犯したとしても、絶対に日本に裁判権は与えないと考える。
この為か、日米地位協定は変更出来ないのである。
アメリカ政府は、日本の検察や新聞社・テレビ局にかかると無罪を有罪に置き換えることを仕事にしている機関にしか見えていないであろう。
日本の検察や新聞社・テレビ局にかかれば、虫をも殺せない人が大量殺人鬼にされそうである。
日本国内で日米地位協定の変更を願う人々は、まず最初に行う事は朝日・読売・産経・毎日という全国紙の不買運動を行うべきである。
この全国紙という新聞社こそ、日米地位協定改訂を疎外している要因である。
日米地位協定の改訂とは、全国紙各社の倒産よりはじまる話である。

沖縄戦

 沖縄戦に関しては多くの混同した問題を合わせて沖縄戦の問題点としていると思われる。
まず作戦として見れば沖縄戦は成功した作戦である。
何故ならば、沖縄戦の目的は敵の本土上陸を出来るだけ遅らせる事を目的としている。
まさか沖縄戦で米軍を全滅可能に出来ると考えている様な事は、当時の人々でも夢想もしえない事である。
沖縄戦は、本土上陸を出来る限り遅らせるという点に絞れば、成功した作戦といえる。
作戦的には成功したと言える作戦であるが、沖縄県民の犠牲者を出した事に関しては、全責任は大本営陸海軍部にある。
この責任は現地兵士や現地司令部には、本来存在しないものである。
集団自決における責任も、現地兵士や現地司令部には一切無く、全ての全責任は大本営陸海軍部にある。
何故ならば、沖縄に米軍が上陸する可能性のあることは、フィリピンやサイパンの陥落から明らかである。
故に沖縄上陸は、作戦上の常識である。
故に、沖縄に兵士を送り込むと同時に沖縄県民を沖縄から本土へ移送することは、大本営の責務であるのに、大本営は、この責任を放棄したのである。
また、当時の日本では、現地司令部や現地兵士の指示の有無は関係なく、集団自決の責任は大本営陸海軍部にある。
何故ならば、当時の日本は国民皆兵を行っており、公立学校等では軍事教練を行っており、国防婦人会等では、竹槍を使った軍事教練を実施しており、東条英樹の出した戦陣訓は国民の広く知る所である。
この為、現地司令部や現地兵士の命令の有無に関わらず、「生きて虜囚の辱めを受けず」は、沖縄県民だけではなく、日本国民の共通認識であるといえる為、現地司令部や現地兵士の命令には全く無関係に集団自決の可能性は十二分に可能性のある行いである。
この様な状態において、現地司令部や現地兵士の責任の有無を問う行いは無茶苦茶な行いでしかない。
この沖縄県民の犠牲者の全責任は、全て大本営陸海軍部の責任に帰す問題でしかなく、これを現地司令部や兵士に問う事自体が無益な行為に過ぎない。
この沖縄戦の一般市民や軍属の犠牲は一重に大本営陸海軍部に帰すべきものであり、これは司馬遼太郎氏が北関東において、参謀本部の参謀将校に逃げて来る一般市民を殺して敵を向かえ撃てと指示した参謀と同一の思考であり、これは、当時の大本営陸海軍部の一般認識であると言え、例え軍命の有無に関わらず、大本営陸海軍部の暗黙の命令であったと見るべきである。

応仁の乱と昭和と現代

 戦前陸軍の青年将校達は昭和維新と明治の志士を気取りながら、将来像を描く事が出来ず下剋上という名前のどちらかと言えば応仁の乱に近い状態を作り出したが、現在の代議士は維新の志士気取りだったり、おべっか使いの名手たる新聞社やテレビ局の政治部出身記者達は、彼等を維新の志士に例えたりしているが、昭和の青年将校同様に将来像が存在しない事に変わりはないのであり、結局の所、昭和前期同様に下剋上という状況になり、応仁の乱とさほど変わらない将来を作り出しそうな気配が強いと感じるので、日本の将来像を探るべく、応仁の乱について考えてみたいと考えて、取り合えずこの時代の大まかな流れを掴む為、何冊か小説を読んで掴もうと思い代表的人物として日野富子でネットで調べてみると、さほどの作品はなく、司馬遼太郎氏と永井路子氏の作品とNHKで昔放送した大河ドラマが出てくる位であり、両方とも読もうとamazonで調べ見ると永井氏の作品は絶版みたいなので、司馬遼太郎氏の「妖怪」を購入したので、これから読んでみたいと考えている。

サッカー改めバッカー

 またしてもサッカー日本代表が決定力不足という言い訳を使っている。
これは、釜本選手が全盛期を過ぎてから、常に使われている常套句である。
jリーグ誕生以来負けると使われている決まり文句であるが、2~3年決定力不足で負けるのならば決定力不足という話は通るが、もう20年以上使われている台詞であるので、決定力不足という言い訳は本来通用する台詞ではない。
これは、サッカー協会・指導者・解説者・サッカージャーナリストの全員が才能も能力欠片もない証拠に過ぎない。
考えられるあらゆる手法を使った結果、決定力不足であるのならば、結論は日本人はサッカーにおける決定力不足は民族性であるという話になる。
即ち、サッカー界が費やした時間は、そういう意味の時間であるのに、今だに決定力不足というのは、世界で行われているのがサッカーであるならば、日本国内で行われているのはサッカー以外の別の競技なのか、それとも本当に日本中の才能の欠片も能力の欠片もない人々を集めて行う、サッカー以外のバッカー(バカが行うサッカー)という競技としか言えないのではないのだろうか?

百貨店から無貨店へ、そして廃業へ

 今日、ルーズリーフのバインダを探しに東急ハンズに行ったが、チープな素材のものしか置いていなかったので、隣の百貨店に前に行った時、手触りの良いメモパッドが置いてあったので、行ってみると置いてあるのは高級万年筆とシステム手帳のバインダと申し訳程度の商品が置いてあり、何を考えているのか隣の東急ハンズにはモレスキンが全種類おいてあるのに、申し訳程度のモレスキンが置いてあり、結果的にはネットで調べ、最終的はAmazonで購入の手続きをした。
東京であれば伊東屋へ行けば購入は可能であるが、地方であれば最初から百貨店などへ行かずネットで購入するという選択肢になる。
ここに現在の百貨店という業態の問題点がある。
高度成長期には、普段の買い物は町の商店街で行い、町の商店街にない商品を購入したり、給料日やボーナス支給日のハレの消費を行う所に百貨店という業態の強みが存在した。
高度成長期から低成長期に変化した時から現在の百貨店という業態の失墜が出てきたのである。
まず東京ディズニーランドの登場は、百貨店から屋上の遊園地が逃げ出し、ビストロブームからその後のグルメブームは百貨店からレストラン街が逃げ出し、女性ファッション誌の流行りは婦人服売場から婦人服自体が逃げ出し、百貨店という業態から無貨店という業態に変化したにも関わらず、70年代の思想のままで業態を維持している所に百貨店という業態が無貨店化したにも関わらず、そのままの体制を維持した結果、廃業という結果を得るに至ったのである。
これも広い意味というよりも、確かな意味で1940年代生まれ問題である。
無能で間抜けであることしか売り物ない1940年代生まれは、現状維持という最悪の選択をした結果、百貨店という業態は廃業という選択肢しかなくなってしまったのである。
1990年代にある雑誌で、百貨店を舞台にした漫画あり、この漫画では「入場料を取る百貨店」というコンセプトで描いてあったが、これも百貨店の選択肢のひとつであるが、もう一つの選択肢は、完全に富裕層に特化するという選択肢である。
この富裕層に特化するという選択肢で成功をおさめたのが伊勢丹新宿店である。
伊勢丹新宿店の最大の売りはメンズ館である。
独身富裕層向け店舗というコンセプトは、圧倒的な強みをみせ、現在においても強みを発揮している。
そもそも百貨店とは、貴族の消費形態を中流になった庶民に提供することを目的として成立した業態である。
故に中流の崩壊は、百貨店という業態の崩壊しかなく、百貨店という業態の選択肢は元々モデルにした貴族への消費を提供するという業態に行くより他はないのである。

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