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2009年7月27日 (月)

女子アナ

 週刊ポストの記事を読んでの感想であるが、女子アナは電波芸者ではなく、セミであると思う。
 芸者は芸歴が長くなれば芸が深くなるが、女子アナには長くやっても芸は身に付かない。
 22年位土の中にいて、女子アナというセミになったら、7年間泣き続けて、30歳になったら、死んでしまう生物が女子アナである。
 故に”女子アナはセミ”と言って良い。
 局の気まぐれで記者に移動した女子アナだけがアナウンサーという職業になれるのである。
 しかし、その道は5年に一人という狭き門である。
 もし、30歳過ぎてもテレビ局で仕事がしたいのならば、テレ東かNHKを目指すべきである。
 日テレは、町亜正の次を目指すべきだし、TBSへ入社したらセミとして生き抜くべきだし、テレ朝は運がよければである。
 フジは、最初からセミとアナウンサーの二種に分ける事になったし、しかし、育てる期間とコストを考えれば、ここ5年くらいはアナウンサー採用枠はなく、セミの採用枠しかないようである。

リーマンショック再考

 NHKでやっていたマネー資本主義や元BCGの堀氏の考えでは、債権化がおかしいという意見であるが、この債権化とは、単なるポートフォリオされたモノをパッケージングしたものだけであり、債権化がダメだという事は、ポートフォリオがダメだという事になり、これを正当化するには、NHKのマネー資本主義に協力した経済学者や堀氏の仕事は、ノーベル経済学賞をとったポートフォリオ理論を否定しなければならない。
 ポートフォリオ理論を理論的に否定せず、債権化がダメだというのは、学問ではなく宗教である。
 債権化というわけのわからないものが存在している。
 このわけのわからないモノが原因に違いないと言っているのが、NHKの番組や堀氏の思考であるというより思い込みに過ぎない。故に単なる宗教である。
 これは、中谷氏の書籍も、私は自由主義というわけのわからないモノを信じていましたが(決して理解したわけではなく信じただけ)、この信者であることをやめますと言っているにすぎないので、中谷氏にとって経済学とは振興宗教の一つにしか過ぎない。
 NHKのマネー資本主義で金融工学を扱った回に関しても、クオンツ達は個別リスクに関しては考慮していたが、市場リスクに対して一切考慮していない。
 問題なのは、NHKやこの番組に協力した経済学者達は徹底的無能である。
 何故ならば、科学と工学の違いが全く理解できないのである。
 科学は神の領域であるが、工学は人間の領域である。
 しかし、NHKや協力した完璧に無能な経済学者達にとっては、科学と工学は全く同じモノである。これは無能のなせる技である。
 何故ならば、神は間違えないが、人は間違えるのである。
 金融工学は工学であるため、どこまで行っても人間特有の失敗が付きまとうのである。
 今回の問題点は、金融は科学ではなく工学である。
 故に無視される幾つかの問題が存在する。
 金融科学であるならば、市場リスクは無視しないが、金融工学であるため、市場リスクは無視されるのである。
 最後に松平氏の台詞が、日本における問題点を明らかにしている。
 日本において、文化系とは知的障害者である。
 これは、例え東大法学部を首席で卒業したとしても、文化系を選択した時点で彼は知的障害者である。
 故に、NHKも協力した経済学者も知的障害者である。
 何故ならば、科学と工学の違いも理解できないなのは、知的障害者以外の何者でもない。
 故に、JPモルガン出身の女性が格付け会社に頼らない方法の模索の意味が全く理解できていないのである。
 彼女は市場リスクを市場リスクを一切理解しない格付け会社の適当な市場リスクを前提にしていたのである。
 格付け会社の存在事態が分からないから、一つのエピソードとして出しているのである。
 
 今回の問題点は(下は解決策の一つである)
1、投資銀行の株式の公開
  無責任経営の防止のため、自己売買を行う機関は株式の非公開化

2、格付け会社の根拠なき格付け
  市場リスクを考慮に入れる。格付け会社の第三者機関による格付け会社の格付け管理若しくは、格付け会社を全て解散させ、政府機関が行う。

3、日本のバカ7人衆の世界経済崩壊の共同謀議
  経済学部・経営学部を理工学部への移行と移行以前の経済学・経営学部の博士号・修士号・学士号の無効措置と彼らの学歴を中卒とする。(故に官公庁・金融機関の経済学部・経営学部卒は全て学歴詐称による懲戒解雇措置とする)


の3つである。

旭山動物園

 今、北海道にきており、話題の旭山動物園による。
 見せる動物園としては初めての行為であるが、これは江ノ島水族館等の水族館で周辺地域の水辺を再現し行うという水族館では当たり前の行為になったことを動物園で行うということが、新しい視点である。
 都市部にある動物園が行おうとしても、広い面積(ジオラマ作成の為のスペース)が必要になるため、広い面積が必要だし、ディズニーランドと同様に数年置きに新施設を作らなければならないため、ここ旭山動物園でも追加工事の真っ最中である。
 そして、もう一つのメリットがここ北海道にあることなのかもしれない。
 その意味で、ここ旭山動物園は、沖縄の美ら海水族館と対の意味の施設なのかもしれない。
 動物園の旭山動物園
 水族館の美ら海水族館
 遊園地の東京ディズニーランド
といった意味の施設なのかもしれない。
 誤った思考をもった他の地域が、同様の施設を作ったとしても同様の成功を得ることは出来ない。
 東京ディズニーランドが受けるからと言って、宮崎ディズニーランドでは成功しない。あくまでも東京ディズニーランドであることが大切なのである。
 あくまでも観光客相手の施設である。
 地域住民の為の施設から、観光客相手の施設への変換に意味のある行為であると考えられる。

学校は3度崩壊し、3度目は死亡する

 学校は、団塊世代の入学により学校の価値観を崩壊させ、団塊ジュニアの入学により自殺幇助若しくは自殺強要の場に変わり、団塊孫の入学により戦場となり、殺し合いの舞台に変わり、消えてなくなる。
 どの学校も団塊ジュニアと団塊教師により学校は崩壊した。
 団塊教師は葬式ごっこの坊主になり、生徒を自殺させることに力を注ぎ、学校を自殺幇助・自殺強要の場にし、正しい団塊ジュニア達は両親の訓等よく、幼少の頃より正しい犯罪者となるよう訓練を受けた。
 この訓練結果は、現在60代並び30代で重過失犯罪の全体の4割を占めるようになった。
 親子そろって犯罪者という、素晴らしき親子、即ち団塊ファミリーの誕生である。
 この犯罪者エリートの孫達が、小学校に入りだした結果、学級崩壊は日常の風景となった。
 この孫達は祖父母・両親より、犯罪者のエリートとなるべく厳しい教育を受け、人を殺す事は正しい行いであると教育を受け、欲しいモノは奪うものであると教育を受けた犯罪者の正しい血脈をうけた、犯罪者の三冠馬の様な人々である。
 この犯罪のスーパーエリート達を、学校で矯正することは不可能である。学校を守るためには、公立学校への入学は完全拒否を行い、私立学校への入学のみ可ととするか、祖父母・両親ともに直ちに刑務所へ入れ、祖父母は即死刑、両親も即死刑、孫は矯正が可能な場合は矯正し、矯正が難しい場合は、死刑とするべきである。
 悪い芽は出来るだけ早めに刈り取るべきである。
 また、この祖父母・両親は、孫と何ら変わらない社会性しか持ち合わせていない。
 このため、祖父母・両親は孫と同じ様に辺り構わず騒ぐのである。
 本来ならば団塊世代は全員、去勢か死刑か破防法の適用が適切であった。これを放置した結果、団塊世代という劣性人間(新種の生物である、特徴は一見人間に見えるが、脳の中は日本猿の方が遙かに優秀)を誕生させ、世代を重ねる事になった。
 団塊ファミリーとは4歳児以下の精神年齢しか有さないのである。
 4歳児以下の社会性しか有さないが体力は普通の大人並の体力をもつため、団塊ファミリーは犯罪者エリートになるのである。
 この犯罪者エリート達を矯正する事は、不可能である。
 日本猿の場合は群の中で殺し合いは行わないが、団塊ファミリーは親子殺しがごく普通に行われる。
 処分する以外ないのである。処分しなければ、社会不安を呼ぶ原因としかなり得ない。
 故に犯罪者エリートである団塊ファミリーは抹殺する以外に手はないのである。

2009年7月17日 (金)

阪神タイガース

 阪神タイガースが低迷している。
 原因は明らかである。
 仏作って魂入れずである。
 即ち、広島のスター選手を大量にFAで導入し、折角広島タイガースとか広島カープ大阪主張所と言われたのだが、これはあくまでも仏作って魂入れずという状態である。
 この建て直しに一番有効的な手段は、球団社長以下を全員首にして、広島カープ球団のフロントから社長以下の社員をスカウトして、名実ともに広島タイガースとか金のある広島カープになる以外に立ち直り策はないであろう。
 今の阪神は、折角選手は広島タイガースになりかかっているのだが、フロントまで広島タイガースではなく、阪神タイガースのママになっていることにある。
 でも、フロントまで広島になると、松井選手はメジャーから首にされたら、ソフトバンクか現役引退かプライドをゴミ箱に捨てた巨人復帰かしかなくなる。

ウィグル動乱

 中国においてウイグル民族の動乱が起きている。
 基本的背景は、イスラエルとパレスチナと同一の構造である。
 しかし、厄介なのはイスラエルより簡単ではないと行うことである。
 中国は資源国として考えられているが、全ての資源は漢民族が長く住んでいた地域ではなく、漢民族以外が住んでいる地域にある点にある。
 例えば有名なパンダはチベット人の居住エリアにしかいないのである。
 ある意味、パンダは中国の周辺民族弾圧のシンボルであると言っても良いが、これら周辺地域が独立すると中国は無資源国に転落し、ただ人口の多い地域に変貌するため、中国は大国としての体面と中国の経済発展のためにはこれらの地域を無理矢理でも確保しなければならない。
 漢民族にとっては周辺地域が失われることは死を意味する出来事である。
 この意味においてイスラエルより、中国の周辺地域問題の方が根が深い問題と言って良い。
 極端な話を言えば、イスラエルがガザをなくしてもイスラエルは生きることは可能である。しかし、中国が周辺民族地域をなくすことは漢民族の死を意味する。
 この違いはイスラエルに住むユダヤ人の人口はそれほど高くなく、教育熱心でそれを支える人口の少なさと国家の規模を有しており、教育と生存条件が一致した思考を有しているが、漢民族は、現世救済を基本とする儒教教徒であり、短期的な利益を求めることを基本としていると同時に自分が歴史にどう名を留めるのかが漢民族が長く栄えていた理由でもある。
 また漢民族は11億人もいて、この人口全てにきちんとした教育を授ける事は現実的に不可能と言って良い。
 また、儒教教徒である彼らは一族以外は家畜と一緒である。(この点、完全キチガイ世代である団塊世代のスーパーキチガイ達は、大いに勘違いし、中国史五千年の中のホンの60年真似事を行った共産主義(正確的な共産主義ではなく、キチガイである団塊世代の幻想としての共産主義)を主たる要素にするのは、神の手による奇蹟のキチガイ世代である団塊世代以外思考できないキチガイの戯言であるなどをみるのは、アホかキチガイか団塊世代かである。)
 一族の繁栄と一族以外の繁栄を計りにかければ一族が重いのが儒教である。国家より民族、民族より一族が漢民族の基本精神である。
 11億全ての民に高い教育を授ける事は、コスト的にも不可能である。
 中国史とは一つの一族が繁栄する為に他の一族を如何に不当に扱うかが中国史の本筋でもある。
 現在の中国は周辺地域を押さえ、非漢民族をないがしろにする事で漢民族の一部の地域の人々の繁栄を作ろうとしているのである。
 前の北京オリンピックにおいて、中国に住む全ての民族の和を演出しながら、漢民族が他の民族を演じていても平気なのは、あくまでも他の周辺民族の漢民族化である。
 例えば、現在の中国の前王朝である清を構成していたのは満州族であるが、現在はこの満州族は漢民族化して消滅したのである。
 中国を見るのに、完璧キチガイである団塊世代を中心とした人々は現代中国に軸足を置き中国論を唱えているが、本筋は古典的な中国を元にした中国論でなければ、明後日の方向へ進んでいくことにしかならない。
 戦前、日本が誤った最大の理由は、この古典的中国を見ずに、当時の中国を元に思考した点にある。
 中国を見るのに、四書五経や史記や儒教を知らずに中国を見るのは、目隠しをし、耳を塞ぎ、手足を縛って、何事かをなそうとする態度以外の何者でもないのである。
 儒教や古典的中国史から見て、現在の中国の行動こそ中国的なのである。
 
 
 

2009年7月 6日 (月)

テンペスト 池上著

 風呂場読書のためか、上巻の途中までしか読んでいないが、読者の感想は両極端になっている。
 良いと絶賛する人、ダメだという人の二種類である。
 しかし、この読後感は当然の結論である。
 何故ならば、幕末の琉球が舞台なのである。
 清朝に押さえつけられ、薩摩から叩かれ、そしてここから真鶴のガンバリに琉球が完全な独立国家になるのではなく、日本の明治維新による琉球処分の道へ進む行政官の物語である。成功物語では決してないのである。
 そして、真鶴以外の行政官はどうしようもないのしか出てこないが、この辺も、佐藤優氏(帯に佐藤氏の推薦文が出たので購入した)の描く外務省キャリア官僚やテリー伊藤氏の"お笑い外務省”の官僚や金に小狡く無責任ということでは、国交省や厚労省のキャリア官僚が想像が付いてよく、仮説の舞台設定を現在の日本にし、薩摩と清朝をアメリカと中国(どちらがどちらでもよいが)として見ると違った面白さが出てくるが、これも小説としては面白い要素ではない。
 基本的に時代に翻弄され続け、強国の意志は自らの望んだ意志にされる事になる。その為、思考と意志の弱い者は強国と自己を一体化させる以外に生きる方策がない。
 これは現在の日本でも親米ポチやパンダマン(親中ポチ)は、こうやって生きている知識人・官僚・代議士達である。
 この小説は、最初は女性が男装をし、官ガンの振りをして試験を受けて官僚になり、色々な事件を解決し、そして恋心を持つ男性の登場に揺れ動くという所までは、小説として面白いが、中国の官ガンが出てくる当たりから、小説としてはいきなりエロジュニア小説になっているし、この官ガンが出てくる当たりから小説としては、基本的に支離滅裂である。
 ある意味、琉球が沖縄になる、琉球処分に導くには、上巻の半分当たりのストーリーの立て方では、ほとんど不可能であるため、奇想天外な官ガンを出すことで、ストーリーの辻褄合わせを行おうとしたのかである。
 この著者は、ある程度は資料集めを行うのだが、ストーリーの設計が不十分なため、勢いで書いていたが、ストーリーがうまくまとめられ無いのだろうか。
 この作品が、麻薬退治までで終わっていれば、面白い小説であったという感想になるのだが、官ガンが出てくるあたりから余りにも変な小説としか言えない。
 今後、島流し、愛人となって行くことを考えると、波瀾万丈というより麻生太郎並小説というジャンルを作者は築くのかもしれない。
 上下巻ではなく、奇想天外なエピソードを省いて、1巻だけで終えておけばまともな小説となったであろう。
 八重山へ送られたら、側室になって戻ってくる。
 もう、小説の世界というよりも、少女マンガの世界である。これはもう青池保子の世界である。 
 そう、エロい青池保子としか言えないものである。 
 しかし、読み進めて行くとより変過ぎる小説である。
 これはどう見ても、この作者が小説家として生活出来るのは沖縄という特殊な題材を扱っているため、小説家として成立しているのだと思いこまなければならない事態である。
 これは、プロの書いた小説ではなく、自費出版されたアマチュア小説か高校生が趣味で書いた小説という事にしておかなければ日本の小説は、この一冊をおいて滅んだと言っても誤りではないであろう。
 最後に元の男装に戻っても、王や周りの側室や役人が分からないなんて事はあり得ない。それも10代であれば美少年の振りをした美少女はあり得るが、20代半ばになると殆ど不可能で、母親になった後で男の振りをするには前半の美少女という設定が崩れてくる。
 この小説だけを読んで沖縄を考えると、何故沖縄は常にひどい目にあわされるのかと言えば、沖縄に住む人々は全員どうしようもない程バカだからというイメージを作り出してしまうことになる。
 もう少し設定を考えた方がよい。私ならば二卵生双生児という設定の方がまだ面白い気がする。
 もし、実写化する場合、真鶴は下巻の帯に出てくる黒木メイサを出版サイドは考えているのかしれないが、黒木メイサでは色っぽ過ぎるのである。
 即ち、男性に見えないのである。見えるのは男の格好をした女性にしか見えないのである。
 確かに、黒木メイサは川島芳子を演じたが、川島芳子はあくまでも男装の麗人なのである。本人を含めて周りの全てが川島芳子が女性であると分かりきっており、川島芳子本人も男性の格好はするが、男性に頼りきっているため、色ぽっく凛々しい顔をしている黒木メイサが良いのである。これは他に川島芳子を演じた菊川怜も春を売っている目で見れるため、同様の配役である。
 しかし、黒木メイサは、女性が男性の振りをする役が多いようである。写真週刊誌で黒木メイサ演じる女信長の写真を見た。
 しかし、この真鶴は一応、官ガンに見えなければならないため、凛々しい顔立ちで中性的に見える必要があるため、私は黒木メイサより藤井美菜の方が良いと思う。
 紙を短くすれば、ひ弱な美少年にしか見えない。
 イラストの長髪の方は、藤井美菜似であるが、男のなりをした方は、色ぽっくない黒木メイサである。
 女性の配役はドンドン決めることは可能であるが、男性は大変である。
 しかし、後々の設定を考えると実写化は不可能である。どう考えても実写化した場合は、沖縄県民はみんなバカというイメージを与えることにしからないため、実写化は無理で舞台化は可能である。
 何故ならば、舞台は常に客に設定に無理があることは分かって行われるが、実写化ある意味真実に見せなければならない。
 舞台は設定や役者のイメージは嘘でも良いが、実写化は設定や舞台が嘘だと分かった瞬間に子供だましのレッテルを貼られるモノである。
 故に歌舞伎は男性が女役が演じられるし、宝塚では女性が男役を演じることが出来るが、実写化はちゃちいとか変をイメージさせた瞬間にダメになってしまう。
 これは、NHKの作る歴史ドラマと民放の作る歴史ドラマの違いである。
 NHKは一本当たりの制作に費用がかけれるため歴史資料に忠実に作るが、民放は一本当たりに費用がかけられないため、歴史に忠実でなくても良いのである。TBSの水戸黄門などでは良く電線が写っているが、これはTBSだから仕方ないという風になるが、NHKだとクレームがドンドン来るのである。
 故に、最近は見るドラマはNHKで聞くドラマは民放になったのだが、昔の民放はこんな真似をしないのである。
 それは、人が作るものは常に”精神は細部に宿る”からである。
 

コブ弟!!再

 テレビで見る馬場典子さんは、清楚できちんとした家庭で育てられた娘さんの様に見えたのだが、実体は全く違うものであったようである。
 イメージと実体が余りにもギャップがあったことが、今回の出来事の重大な点ではあるが、しかし、視聴者は、この人のお友達は元NHKアナウンサーであったことを思い出し、類は友を呼ぶと言うことを思い出したに違いない。
 コブ弟の元カノでは、テレビと実体に余りにも巨大な差がありすぎるのである。
 実体はイメージと180度違うものの様で、日本テレビも今後キャスティングに苦労するだろう。
 コブ弟ではイメージが余りにも悪すぎるのである。良くて乳首ギリギリ隠しのグラビアアイドル並で、妥当なイメージとしては、水泳大会でブラとパンツがずれ落ちる女性タレントと同類というのが、今後の彼女のイメージであろう。
 海老名一族は基本的に全員マイナスイメージしか与えない一族である。
 この一族と関係しているだけでマイナスイメージとなるのを自局に流されるというのは、馬場典子さんに対して、9月からの出演番組はないから8月中に退職願いを持ってきなさいという公開退職勧告にしかならないであろう。
 このストーリーとしては、30歳以上の専門性のない女子アナを退職にしたいという局の思惑があり、その思惑にある候補としてコブ弟とつきあったことがあり、これはイメージ低下を元に全番組外しの候補として馬場典子さんが選ばれ、そのネタとしてコブ弟が番組に呼ばれ、この話を出させ、柴田理恵さんに振るように伝えた、局の自作自演の公開退職勧告の舞台として選択された。
 これがもし楽天の田中投手クラスの選手や大物アーチストであれば、イメージ上昇になるが、海老名一族ではマイナスの効果にしかない。
 自分達がまともな家族だと考えているのは、日本全国で海老名一族しかいない、日本最悪一族である海老名一族はイメージ悪化の策としては、ベストな選択である。
 しかし、それにしても海老名一族は全員どうしようもないバカしかいないようである。
 全員が何十年もメディアの世界で生きていながら、この振りであれば、答えを求められるのは当然なのに、前振りだけで話が終わると思考しているコブ弟は、落語家としても出来はかなり悪いようである。
 何故ならば、落語でも漫才でも前振りがあれば落ちがあるのは当然なのに前振りだけで終わると考えているなんて、素人でもしないことなのに、落語家として飯を食って何十年も生活してきた一家に生まれながら落ちのない前振りがあると考えていたなんて、素人以下である。
 海老名一族は全員と言っても二人だけだが、これだけでも落語家を廃業するべきである。
 女子アナ30歳定年説は、今まではフジTVとTBSで強くでており、日テレはアイドル風でなければ、30歳過ぎの女子アナに対してもかなり優しいTV局であったが、最近のスポンサーの激減は、そんな甘い状況から脱却し、将来報道番組のキャスター予定に入っていない女子アナは30歳定年だから、30歳過ぎたら退職願いを持ってきて下さいという状況の第一歩なのであろう。
 日テレでは笛吹雅子さんと町亜星さん以外の30歳以上の女子アナは徐々に追い出されていく定めにあるようである。TBSは30歳過ぎは全員退職、フジテレビはアナウンス部所属ながら最初はレポーターをやらされ現在夕方の番組に出ている女子アナ以外は全員30歳になったら退職願いを持ってこいという事態だし、我関せずは今の所NHK・テレ朝・テレビ東京だけであるが、テレ朝も女子アナ30歳定年に走りそうである。(これはテレ朝の女子アナの採用基準が数年前から変化した事による。テレビ東京は昨年当たりから女子アナ30歳定年を採用したように見える。)
 女性で30歳以上でアナウンサーになりたい人はNHK以外ではダメなようで、民放に採用された女性は30歳で寿退職するかフリーになる技術を持つかの何れかで、それ以外の要素のない女子アナは30歳すぎたら退職願いを提出が不文律になりそうである。
 しかし、この事態は予測可能な事態であるが、そこまでの思考力の存在しなかった女子アナが引っかかったのである。何故ならば、TBSはNHKが放送していた韓国ドラマを再放送し、日テレはTV東京で放送していた番組を自社で再放送するほどに追い込まれているのである。
 番組制作費が削られ、他局の人気番組を奪はなければ生き延びが不可能な事態になっており次は人件費に切り込むのは当然の事である。

2009年7月 2日 (木)

コブ弟!!

 テレビで見る馬場典子さんは、清楚できちんとした家庭で育てられた娘さんの様に見えたのだが、実体は全く違うものであったようである。
 コブ弟の元カノでは、テレビと実体に余りにも巨大な差がありすぎるのである。
 実体はイメージと180度違うものの様で、日本テレビも今後キャスティングに苦労するだろう。
 コブ弟ではイメージが余りにも悪すぎるのである。殆ど乳首ギリギリ隠しのグラビアアイドル並というのが、今後の女史のイメージであろう。

補正予算

 今回の補正予算には、二つの意味が入っていたようである。
 一つは景気対策と、もう一つは民主党対策である。
 麻生は愚図でバカでトンマでのろま故に、任期満了で選挙になる、しかし、その選挙ではほぼ100%民主党政権が誕生する、民主党政権が出来た場合は、予算編成が今まで通り行えなくなることを危惧した霞ヶ関は、補正予算を通す事で民主党の予算編成権を強奪したのである。
 今回の選挙で民主党政権が誕生しても、今回の巨大補正予算はほぼ2年分を補正予算に使うものであるため、民主党政権が誕生し、霞ヶ関に大量の民主党の議員を送り込もうと、役人全員が補正予算で金を使ったため、民主党の公約を行うためには、赤字国債を発行するか、増税する以外に手はありませんと言うのが、民主党がやってくる霞ヶ関の答えである。
 大判振る舞いだの、無駄な予算だのと言われながら実行した最大の意味は、民主党に予算編成をさせない事に意味があったのである。
 特に教育関連で納入が2年にまたがっても良いなどは、本来単年度至上主義の霞ヶ関にはあるまじぎ行動であるが、民主党の予算編成権を奪うという目的には叶うものである。
 そして民主党が選挙で勝つ時には、あらゆる地域で補正予算の地方議会では全て通過していて、地方にも国にも金はなく、民主党は霞ヶ関の出す最低限の予算をだすしかないのである。

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