これは、本来組織論のケーススタディー的な教科書であった”失敗の本質”は、一部著者等(ノモハン・ミッドウェーの担当者)の勘違いや読者達の大幅な勘違いの結果、戦略論的読み方をされている、失敗の本質に対して、太平洋戦争の戦略的・政略的ミスについて考えてみたい。
しかし、失敗の本質は、誤った読まれ方の為に、純度100%バカを発見できる”バカのリトマス試験紙”的役割を持っている。
本構成は戦略的政略的ミスに関して構築するため、本物のバカにとって勝ったと考えられている戦い(戦果が上がった戦いも戦略もしくは戦術的に失敗した場合は失敗した作戦として取り上げる)また、バカのリトマス試験紙の方で取り上げた、ガダルカナル・インパール作戦などの個別の作戦ミスは取り上げない。
よって、ここで取り上げる戦略的政略的ミスとは
1、大本営政府連絡会議
(戦争設計の欠如と相手国の無理解)
2、真珠湾作戦
(戦略目標・戦術目標と戦果との関係)
3、絶対国防圏構想の破綻
この3点のみが太平洋戦争全体におけるミスである。
バカのリトマス試験紙ではノモハンからスタートさせているが、このノモハンから取り上げるところが、バカのリトマス試験紙たる所以である。
組織的課題として取り上げるのであれば、満州事変や226事件の方が、ケーススタディーとして的確であるし、ノモハン・ガダルカナル・インパールの何れも、ケーススタディーとしては全く同じ粗筋である。
勝手に下の参謀が計画を立てて実行し、大失敗したが、責任を一切取ることなく栄転したと言うことでは、なにも変わらない。
その意味では、この初端たる満州事変の方が適切であり、どの様な場合責任を取らされるのかのケースとしては226事件がケースとしては適切である。
全く同じ様な失敗を3例も取り上げて、何のケーススタディーの意味があるのかである。
この3例は戦略・戦術的に全く意味のない作戦である。
失敗したのは、この3例とも、自軍の部隊の能力や戦場たる地形や相手方の兵力を完璧に無視した作戦であるため、戦略的戦術的に取り上げる所が一切存在しない作戦である。
例えばインパール作戦に関しては、英国軍は、円形陣地を構築し、空から補給を行っているため、この敵を攻略出来るか否かは、日本軍の航空戦力が、英国の航空戦力による補給部隊を攻略出来るか否かにかかっていると行って良い。
空から補給を受けている部隊に対して、補給を持たない地上兵力(38式歩兵銃)だけで、重武装の敵部隊を攻略出来るか否かであり、こんな作戦は最初から成立しない作戦である。
こんな作戦を立てる指揮官が何故、病院で治療を受けることなく現地で指揮官になれるのかは、組織論の世界ではなく、文化人類学の世界の話でしか過ぎない。
日露戦争終結以前の日本軍は、戦略論や組織論の世界で話が出来たが、日露戦争終結以降の日本軍は、文化人類学でなければ判明しない世界の住人になったと行って良い。
故に、ここでは文化人類学的課題にしかならない陸軍の作戦計画は出来るだけとらない事にする。
また、2項で真珠湾作戦とあるのは、バカのリトマス試験紙では、成功した作戦と書いてあるのにたいしてここでは失敗した作戦としてあるのは、真珠湾攻撃の作戦目標は米機動艦隊の攻略である。そしてミッドウェーの作戦目標は真珠湾攻撃と同様の米機動艦隊の攻略である。
もし、真珠湾攻撃において作戦目標が成功しているのならば、ミッドウェーで同じ作戦目標を立てる必然的理由が存在しない。
故に、ミッドウェー作戦を計画している時点で、真珠湾攻撃が失敗した作戦であることを当時の海軍自体が認識していた出来事であるが、バカのリトマス試験紙である本では、この程度の認識が出来ないため、真珠湾を成功した作戦であると記載しているのである。
作戦の成功か否かを決定する要素は、作戦目標の正否だけである。戦果が上がれば成功、戦果が上がらなければ失敗であるのならば、戦略や戦術の必要性は一切存在しないことになる。
バカのリトマス試験紙の愛読者達は、三国志を読まれる事を勧めておく。
三国志における孔明と張飛の争いは、孔明=戦略・戦術・作戦目標で、張飛=戦果である。
孔明にとっては、作戦目標が成功すれば成果が上がろうと上がるまいと関係ないのである。
これに対して、張飛は敵の首を切ってなんぼである。敵の首を切れなければ活躍の余地は存在しないのである。
故に、三国志では孔明と張飛の対立が描かれるのである。
2000年前の漢民族でさえ知っている、戦略・戦術と戦果の違いをバカのリトマス試験紙の愛読者は理解できないのである。
戦争設計・戦略=戦略目標の攻略、戦術=戦術目標の攻略という点について考えながら、真説失敗の本質を書いてみたい。
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