秋葉原連続殺人事件
この事件は容疑者の年齢からサカキバラ事件と比較されるが、私自身はこの事件は、大阪池田小事件やスズカミカ容疑者の事件や江東区のバラバラ殺人事件と同質の事件であると考えている。
サカキバラ事件には、殺しの前兆現象としての猫等を殺す事があった後、実際の殺人事件が発生したが、同質であるといった事件には前兆現象が無く突然殺人を実行した事件である。
これは、これらの容疑者達の有する殺人に関する行為に対するハードルが欠落していったため発生した犯罪事件である。
このハードルの欠落は、クマエリの放火事件、今回の秋葉原連続殺人の現場写真を撮っていた人々にも同様の欠落が存在している。
ブログのアクセス件数の増加と言う他人の自分への注目という行為のみで犯罪行為を重ねるという行為には、被害者に対する感覚の欠如から行われる行為である。
この意味で、この秋葉原連続殺人犯とクマエリの思考はよく似ていると言える。
また、秋葉原の連続殺人の現場において写真を撮るという行為も被害者と加害者に対する距離間の欠如から発生している行為である。
この殺害現場の写真を撮るという感覚と加害者との思考に実の所差異は存在しないと考えている。
何故ならば、この加害者には被害者を人という認識に欠けており、その結果、害虫を殺すような感覚で殺人を実行したと言える。
この同様の感覚をこの秋葉原連続殺人事件の現場写真を撮った人々の有する感覚であるため、この現場写真を撮った人々がいつ連続殺人を行ったとしても不思議ではない。
この現場写真を撮った人々も、加害者同様に被害者を自分と同じ人と認識していないため、冷静に現場写真を撮影したと言える。
この秋葉原連続殺人や江東区のバラバラ殺人事件の容疑者と秋葉原連続殺人の現場写真を撮っていた人々との間に共通する認識は、他者に対する完全な距離間の喪失である。
これは彼等の両親の世代達が阪神大震災のおり、現場にわざわざやってきて記念撮影を撮った感覚と同質であり、またこの震災時に映画の様な効果音を使ったフジテレビの番組プロデューサーやディレクターの感覚と全く同質なものである。
中国で裸の女性に震災現場と考えさせるような感覚でグラビアを載せた週刊誌の感覚と同一の感覚である。
阪神大震災の現場で記念撮影を行った人々(母親)もフジテレビで効果音を流した番組プロデューサーや編成局長(父親)も神戸で温泉地の様なと表現した(本来は人が多数死んでいるので、戦場と言うべきもの)キャスター(父親)の持つ、他人を人と一切認識しない感覚が、これらの事件の加害者や今後殺人を犯す可能性の高い現場写真を撮った人々の共通する他者の痛みを理解できない感覚である。
また、阪神大震災で記念撮影をした人々やフジテレビの震災報道で映画の様な効果音を流した番組プロデューサーやそれを許可した編成局長や温泉地と表現したキャスターが、今まで人を殺していないのは偶然の産物にしか過ぎないと考えられる。
何故ならば、これらの人々に共通する認識は、他者を人と認識していない感覚であるため、コバエやゴキブリを殺す感覚で殺人が実行できる人々なのである。


■秋葉原無差別殺人事件
こんにちは。私もこの事件についてブログに掲載しました。ただし、数十年前からこうした事件が起こることを予期していた、経営学の大家ドラッカー氏の見解などを補足する形になりました。ドラッカー氏は今日あらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルようになっており、今回のような事件が多発すること、それに対する対処法として都市の文明化に関しても述べています。ひるがえって日本では、都市の文明化ということにあまりにも注意が払われていないと思います。このままでは、いつまでも根本的な問題解決にならないと思います。ここに書くと長くなってしまいます。詳細は私のブログを是非ご覧になってください。
投稿: yutakarlson | 2008年6月14日 (土) 11時45分