無料ブログはココログ

2009年11月 5日 (木)

恐慌は日本の大チャンス 高橋洋一著

 竹中氏のブレーンとして有名だった高橋氏の新著である。
彼の前の著作”さらば財務省”以来の氏の著作である。
氏は数学の能力が高く、ブレーンになった竹中氏の様なバッタものではなく、世界的意味で正当な経済学者である。氏の不幸は日本で経済学者を行っている事である。日本では氏のようなノーマルなコースで経済学者になった人は稀である。
故に、氏の案に反対する経済学者が論理的には反論できないため、常に感情論で反論するのだが、氏は著作で反対意見を述べる経済学者達を勘違いであると言うが実の所、能力的に反論できないため、感情的に反論するのだが、氏はこの反論する人々の感情的部分が見えておらず、この為氏はある意味、言いように竹中氏に利用されたと思われる。
世界的には、経済学者になるコースは、大学は理工科系学部を卒業し、その後経済学に転じるコースが標準コースと言えるが、日本の様に高校時代に数学チンプンカンプンで大学で経済学部に入学し、その後マスター・ドクターと進むコースが一般的である。
このため、90年代に銀行や商社に理系卒業者が入るようになると、”経済学でマスターを取った者を10人入れるより、理工科系卒業者一人に半年経済学を学ばした方が遙かに優秀だ”という事が裏定説になっている。
氏は、エセ経済学者達(日本だと経済学者、海外に出ると素人)に正しい経済学で挑む殉教者の様な立場の人であるが、氏の不幸は、竹中氏や猪野瀬氏という変節漢と組んだことにある。
同時に氏は、理論を進める経済学者ではなく、実証を進める経済学者であり、編集力の非常に弱い人でもある。
これは、氏は社会保障カードの必要性を説くが、日本にはその様なモノは必要ない。
何故ならば、その制度をひいている国々は全て例外なく、日本の様な戸籍制度や住民票を有していない。
日本には、完璧な戸籍制度を持つため、この制度応用で行うべきである。
新たな制度を組んだとしても、文化系大学を卒業したキャリアに、この様な制度を組むことは不可能である。出来たとしても社保庁で行ったような出鱈目なモノを作るのが関の山である。
何を作ろうと、現在の戸籍制度を上回るモノを作ることは不可能であるから、現在の戸籍制度上に乗っけるのが一番リスクが少ない方法である。
この戸籍制度に乗っけるという思考に至らない点が、氏の編集力に疑問を持たせる原因である。
また、氏はフリードマンを初めとする新古典派に造詣が深いが、マックス・ウェバーに関してはかなり毀損が見られる。
特に官僚の行動に関しては、なんのかを一切理解していない。
氏は、心理学とウェバーに関しては再勉強された方がよい。
何故、官僚達が反対するかに関しては、ウェバーの著作から明らかである。
即ち、欧米の官僚が依法官僚であるのに対して、日本の官僚は家産官僚であるために発生している問題である。
郵政民営化に関しての失敗は二つある。
これは氏の領分ではない。
一つは竹中氏のもう一つの面である。
この一つ目の点が、西川氏を郵政の社長にしたが、この西川氏に興味があるのは郵政の貯金と簡保だけで他はある意味どうでも良かった。
この西川氏のどうでも良い部分が結局郵政民営化を失敗させた原因である。
この為、本来は郵政は3代表取締役制を置くしかない。
一つは郵貯簡保、もう一つは配達等のネットワーク、そして最後に郵貯の資産の整理(会館や簡保の宿等の資産売却)に分けてそれぞれで行うべきを一人社長に行い、そればかりか元々郵便局に人材派遣を行っていた人を取締役に加えるのは、公的機関の処置としては、100%誤りである。
郵政民営化は、行うことは正しかったが、行うためにやる方法論は完全に過ちで、この方法論の実行者は竹中氏なので、竹中氏の全責任と言って良い。
これは、郵政に研修業務を請け負っていた派遣会社の社長を取締役に付けていた事に見られたり、雑誌等によると不動産鑑定を竹中氏が懇意にしている機関が行っていた事にある。
政治は、研究と違い、結果責任である。
理念が、どんなに正しかろうと、方法と結果が誤っていれば過ちである。
故に、郵政は過ちであった。
また、氏を初めとする人々は、格差問題に関して常に一つの勘違いを行っている。
その勘違いとは、格差の発生は、国内経済と国際貿易の連立方程式から導き出されているのに、常に格差の話は国内経済の問題点として思考されているのである。
格差は、国際貿易により発生している。そして格差により発生する貧困の問題は、派遣労働の問題ではなくエンゲル計数の問題である。
即ち、派遣労働であっても、その賃金により、住み食べることが可能であれば、貧困そのものは問題にならない。
貧困が問題になるのは、食事を取るのか、住むところを取るのかという二者択一問題に貧困層が置かれることにある。
故に、これは経済学の問題ではなく、政治の問題である。
即ち、貧困層が食べていくためには、農産物等の輸入に関する関税を撤廃する以外になく、そして住むところを提供するには都市部に多くの公共住宅を提供していかなければならない。
貧困問題とは実は、兼業農家問題である。
兼業農家を出身地で生活させるため、不当に高い農産物価格と無駄な公共事業投資を行う事で、兼業農家への所得保証をこれまで行ってきた。
兼業農家の根絶を行えば、農業価格と建設価格は下落することになるため、派遣労働者のエンゲル計数を低下させることが可能になるため、貧困問題の解決に向かうのである。
それを、氏を初めとする人々は明後日の解決策を探ろうとしているため、結論が出ないのである。
これは氏の議論展開だけではなく、本当に大事な点が議論の中心になっていない。
氏は、世界的(理科系学部出身から経済学に転じる)に見ても、ノーマルな経済学者であるのに、比較優位が出てこないというのは、東大の経済学部の経済原論の中には、本当に”比較優位”に関する章は完全に抜け落ちているのだろうか?
比較優位がぬけ落ちていることは、東大経済学部には貿易に関して、一切ぬけ落ちているという事になるのだが・・・・。
比較優位説のない、格差の議論は、グラスにいれて1週間以上放置しておいたビールを飲むようなものである。
運よく飲めても、ひどく不味いし、翌日から1週間以上ベッドとトイレを往復するような議論である。

首都圏の渋滞解消

 首都圏の渋滞の原因は、車の数が多すぎるためと言われているが、これは大嘘以外の何物でもない。
首都圏渋滞の最大の原因は、多数のバカが車を運転しているため、渋滞が発生するというバカ原因説が正しいと考えられる。
例えば、海老名バス停付近、海ほたる、箱崎は、有名な渋滞ポイントであるが、この3カ所の何れも、バカが一人も運転していなければ渋滞が発生しない。
特に有名な海老名バス停付近に関しては、原因はただ一つ緩やかな下りと緩やかな登りがあり、この下りから登りの違いを認識できないため、発生するといわれているが、この原因こそバカ渋滞を証明している。
私は、この付近を走ったとき、どこから下りでどこから登りかは見れば分かるくらいのレベルである。
何故、この登りと下りの違いが出来ないかと言えば、小学校高学年で行う、立体の展開図等の立体関係の問題がチンプンカンプンだったバカが車を運転しているため発生する典型的なバカ渋滞である。
これは海ホタルも同様である。(このトンネルも緩やかな下りと緩やかな登りの合成である)
箱崎は、二つの車線が一本に合流するとき、前の車と後方の車の間にどれだけスペースを空ければ良いかという問題である。
そして、渋滞時の車1台以上のスペース。
この異常に長い合流スペースや渋滞時の車間を作る原因の全ては、距離感覚の無さである。
軽自動車が合流するのに、トレーラが合流するスペースを必要とするため、渋滞が発生しているのである。
これら何れも空間の把握能力の欠如したバカが車を運転するため発生するバカ渋滞である。
また、カーブ(コーナー)を曲がる時に、曲がる直前まで80キロ近い速度でど真ん中で突っ込むと、カーブの中心では、車が膨らむため、運転手は急ブレーキを踏み、カーブの出口では30キロ前後まで落ち、そしてカーブを出ると慌ててアクセルを踏みだし元の80キロに戻そうとするが、後方の車は、前方の車にあわせて急ブレーキを踏むため、この前方のバカのおかげで、カーブの多い、首都高では、大渋滞が発生するのである。これもバカ渋滞である。
故に、首都圏の渋滞の原因は、車が多い事ではなく、バカが車を運転する事により発生する、バカ渋滞以外の何者でもない。
この行動の原因は、渋滞の原因となるバカ運転手達が、小学校入学以来の理科・算数の授業内容を一切理解せずに授業内容記憶したか、記憶できなかったの差異でしか過ぎないが、理解できないのはバカである証拠である。
海老名バス停、海ほたる、箱崎、渋滞時の車間等やカーブを曲がる問題の全ては、小学校に入学して直ぐに学校から”君には小学校以上の学力は身に付きませんから、犬や猿が芸を覚える様に学校生活を送って下さい”という学校の教えに対して、立派な犬や猿として生活した人々が有名大学の文化系に進学したが、学校の授業は一切理解できないため、実質学歴は小学校未入学のため、バカ渋滞の原因となっている。
故に、この様なバカを再調教し直さなければ渋滞の解消にならない。
この渋滞を作るバカ達は、同時に貧困層予備軍であり、当然このバカの子供は完璧な貧困層である。
これまでは、この文化系という犬や猿並の知性しか有さない人々の問題はなかった。
何故ならば、日本は閉鎖経済であったため、猿や犬並の知性の人々でも人並みの生活を送ることが出来たが、プラザ合意以降では、徐々に猿や犬並の知性の持ち主は、猿や犬として生活していくという風に変化してきている。
日本は経済は一流と言われているが、正確には技術が一流であって経済が一流であった訳ではない。
これが、政界・官界・学会・経済界・マスコミに生息するバカを勘違いさせた要因になった。
日本は技術力(理科系)分野は一流だが、文化系分野では3流以下である。
これは、昔の南アフリカで日本は名誉白人扱いされたのは、技術力(理科系)が高かっため、欧米で人間扱いされただけで、文化系的分野では、日本人は欧米では、猿か犬扱いである。
この状態が収入や生活レベルを形つくるのが、これからの社会である。

閉鎖経済  理科系・文化系=人間
(70年代以前)

開放経済 理科系=人間 文化系=猿・犬
(90年代以降)

この、開放経済の第一陣として、犬や猿扱いされ始めた状態が現在の貧困という問題であり、これは今後文化系全ての人々が猿や犬として、生活していくという問題でもある。
何故ならば、開放経済において、企業や働く人々の国籍や肌の色は問わないため、これまであった地球規模であった南北問題が、一国内に南北問題が発生する事になるのである。
故に、今後文化系という人々の中で、餓死やストリートチルドレンという問題は、ごく一般的に発生する問題である。
何故ならば、世界には100億人近い人々が生活しており、その5%が学校で習った事を理解力出来れば、5億人おり、ほぼ現在の先進国の人口となる。
そして、学校で習ったことを理解できないけども再現出来る人々が15%いれば、これは15億人おり、これは発展途上国の住民として生活が送れ、残りの60%は後進国若しくは発展停止国の住民とる。
日本の就労人口を6千万人に当てはめると
先進国     300万人
発展途上国  900万人
後進国     4800万人
貧困とは、今の問題ではなく、将来の問題である。
文化系の人々にとってホームレスとは将来の自分の姿以外の何者でもない。これは東大法学部を上位成績で卒業しても将来はホームレスはごく普通に発生する姿である。
しかし、これは防げた問題である。
もし、経済学部卒業者が比較優位やヘクシャーオーリンサミエルソンを理解できたならばという話である。
残念ならがら、大半の経済学者(特に政府の御用学者)は、誰一人比較優位は理解できていないため、貧困問題は発生した。
これは、日本の政治学者や国際関係論・軍事問題を取り扱う人々全てが知的障害な発言を行い、イラク・アフガニスタンで世迷いごとを言っているのと変わらない問題であり、この全てが文化系とは実質学歴小学校未入学を指す事と一切変化しない出来事である。
2000年初めに森永氏が年収300万円時代の生き方という本を発表したとき、私の感想は”このおっさんバカかいな”であった。
何故ならば、この書籍では国内だけしか見ていないし、何よりもIMFショックの韓国の状態が認識されていない。
この韓国を考慮に入れれば、年収150万以下が近々やってくることは想定可能な状態であると言える。
と言いながら私自身も将来想定を誤っていた。
私は、最悪想定を年収80万で考えていたが、この時、私は文化系というモノを想定していなかった。
再度文化系という想定を入れると、最悪の想定値は年収12万もあり得るというのが私自身の想定である。
故に、日本は、文化系という本来犬や猿並の知性しか有さない人々を、いかに世界的に見て人と認識される人々に変えていくかが重要な課題となる。
このためには、今まで理解力は問わず、再現するという記憶力の優れた人々を評価するというシステムを改め、理解したか否かを問うシステムに変更しなければならない。
この再現できる能力というのは、後進国や発展途上国にとっては必要な人材であった。何故ならば、発展途上国や後進国にとっては、先進国になるのが目標である。故に先進国という教科書を元にすればよいが、先進国は、今後更なる発展を模索しなければならないが、この時、先進国には教科書が存在しないため、教科書の内容を再現できる能力よりは、教科書を理解し、次なる道の模索を行わなければならない。
この時、必要とされる能力は、再現力ではなく理解力であり、理解力を元にした編集力である。
理解しなければ編集出来ないのである。
また、世界にはあらゆる民族や国家があり、人種差別的フィルターをかけなければ、あらゆる民族には、日本と同様の比率で、教科書の内容を理解できる人、再現できる人、再現できない人の割合に変化はない。
故に、今の教育システムのママでは、この比率で裕福な生活が出来る人、何とか食べていける人、食うことに困る人という比率に変化はない。

東郷茂徳の重大なる過失とマニフェスト選挙

 8月の終戦と選挙において、現在生きている我々が考えなければならないのは、開戦決定における東郷茂徳の対米外交を行う能力に徹頭徹尾欠けていた史上まれにみる無能の極みを極めた外務大臣の無能さと今回のマニフェスト選挙について考えなければならない。
アホでバカで1940年から1953年位に生まれた人々うを代表する大バカで有名な麻生太郎だが、東郷茂徳にくらべると遙かに大バカ麻生の方が遙かにまともである。
何故ならば麻生がバカで死んだ人はいないが、東郷がバカなおかげで死んだ人は百万人以上いるのである。
何故東郷茂徳のバカさ加減が問題になるのかと言えば、太平洋戦争開戦において重大な意味をなしたのはアメリカの参戦の可否である。
この点に関して考慮しなければならないのは、ルーズベルトの3選目の公約である。
ルーズベルトの3選目の重大な公約の一つは”自ら戦争を仕掛けない”という公約である。
民主主義国家において、選挙公約は重大な意味を持つ。
選挙公約とは、立候補者と選挙民との契約である。(これは神との契約と同等の契約である)
故にこのルーズベルトの選挙公約は、アメリカは自ら戦争を仕掛けないという宣言である。
故にハルノートなどは、この公約の意味を理解しているため、日本がハルノートを受け入れた場合、いつまでに完了させるべき日時が記入していないのである。
これは、日本がもし、ハルノートを受け入れたとしても100年後に中国撤兵をしたとしても、何の問題のない提案である。外向的には・・・・
東郷が選挙公約と外交文書の意味について理解していれば、ハルノートを内外の記者に提示し、”これは第二本帝国に対する宣戦布告文書である”と言った瞬間に、アメリカ本国ではハルの辞任とルーズベルトの釈明が行われるのであるが、完璧バカな東郷と外務省は、当時も今も完全無欠の無能集団として存在している。
対米交渉の窓口である東郷茂徳にとって重大な意味を持つ公約であるが、この公約の意味を全く理解しない外務大臣は、それだけでも中国風に言えば9族死罪に当たる重大なる犯罪行為である。
この意味で言えば、開戦の全責任は東郷茂徳の完璧なる無能にあると言っても良いのだが、昨年TBSで、この大本営連絡会議のドラマを行っていたが、このルーズベルトの選挙公約が取り上げる事がないことは、TBSや毎日新聞や現在TV朝日で活躍しているジャーナリストにとっても選挙公約とは”その場限りの冗談(若しくは嘘)”の意味しかない事になる。
なのにTVや新聞は、マニフェスト選挙といってあおっているのだが、TVや新聞社にとっては、選挙公約は冗談か嘘の意味しかないので、そもそも各党の選挙公約は全く意味のない問題でしかないはずなのに選挙公約の重大性を取り上げるのはいかがなものであろうか。
また、民主党の掲げる高速道路の無料化は、本来自民党の公約であった。
東名や名神を作った時、自民党や当時の建設省は、高速道路の工事費が賄えれば無料化すると公約を掲げながら、大嘘を付き、次から次へと高速道路を造り、最初の東名や名神の工事費はとうに回収されながら、永遠に他の高速道路を造り続けるという、大嘘を付きながら新聞やTV局は完全に無視し、民主党の高速道路の無料化を問題視するのは、新聞並びにTVとは何なのかを考える意味でもある。
民主党が政権を取った以降も新聞・TVが民主党批判を繰り返すのは、新聞社にとって番記者と記者クラブが生命線となっており、この二制度が消えると新聞には記事が消えることになるからであり、新聞記事が消えれば、新聞記事を映像化するTV局の死滅を意味しているのである。

2009年11月 3日 (火)

反戦運動とは

 反戦運動とは、今、日本のアホ丸だしの平和運動家という名前のバカが行っている活動ではなく、デフレやスタグフレーションを起こさない活動である。
景気が悪化し、失業者が世間に溢れだしたら、国粋主義者が台頭し、急速に右傾化し、それまで反戦を叫んでいた人々も、国粋主義的動きを示す。
民主国家の成立は、非知識人やエセ知識人は国家と個人を同一視したり、人種差別的傾向を高める役割しか果たしていない。
国粋主義者とは、通常の経済では社会的弱者である。
故に、経済状態が良いときは、右よりの人々は少ない(これは左も少ない)。
しかし、経済状態が悪化すれば、ごく普通の人々も右傾化の傾向を有する。
大凡、民主主義国家成立以降において、常に戦争が行われるのは景気が悪化し、失業者が溢れだし、先導する人々が右傾化傾向を示し、それに政府が肩入れする事により、戦争が起きるのが、これまでの傾向である。
失業者が20%を越えれば、福島みずほや辻本清美に”天皇陛下万歳”と叫ばすのに労はない。

2009年10月27日 (火)

ぼくらの頭脳の鍛え方 立花隆・佐藤優

 二人とも著名な人で、現在の日本に於ける豊かな教養の持ち主として確定した評価のある人である。
 佐藤氏は現代の問題としてテロとの戦争を掲げるが、軍事的な基礎的著作を示していないし、橘氏も軍事的には、補給に関する著作を上げているが、これはあくまでもある程度力のある国家間の戦争に関して重要であるが、現代のテロという事に答えているとは思えない。
 これは、二人とも事軍事に関しては苦手なのか、日本は戦前戦後とも軍事は、専門家といえども苦手で数人の軍事のプロがでて、後はその人物の猿真似しか出来ず、補給に関しては、旧帝国陸海軍とも補給は橋にも棒にもかからないため、橘氏は補給に関する本を上げたのであろう。
 二人とも、軍事に関しては書いていないので、私が代わりに軍事に関して5冊上げておく。

1、戦争論 クラウゼヴィッツ

2、ランチェスター 
(第一法則と第二法則の解説がかかれていれば何でもいい(インターネット可)

3、毛沢東の著作
毛沢東は、現在の中国の創始者とみるより、現在では世界最初のテロの理論家若しくはゲリラ戦の理論家と見るべきである。毛沢東理論こそ、テロ理論である。)

4、日本海軍失敗の本質 千早正隆

 最近復刻された書籍である。

 立花氏が上げた大日本帝国の興亡に助言を与えたのは、千早氏であり、この本を読むと今までの山本五十六像はかなり破壊されることになる。山本五十六も他の海軍士官同様大鑑巨砲主義の一員であり、何故真珠湾攻撃で石油設備を破壊しなかった理由も明白になるし、この書籍を読み、日露戦争から太平洋戦争終結までの大局的見方ができると、”失敗の本質”という書籍がいかに駄目本かがわかるであろう。

  この書籍のタイトルが研究の失敗の本質が正しいタイトルであり、この失敗の本質の著者たちが新たに出し”戦略の本質”が実は”著者等は全員馬鹿”が正しいタイトルであることは、他の戦史を紐解くと理解できるであろう。

 古典的表現を使えば、”勝利は偶然、負けは必然”であり、もし著者等のできの悪い思考が正しければ、読売巨人は、川上のV9以降もセリーグ優勝と日本シリーズを制覇し続けているし、特に長嶋氏が第二期監督時代に行った補強は完全に正しかったと言われていることであろう。

4、パイナップルARMY 浦沢直樹
プロの傭兵とテロリストとの戦いを描いた浦沢氏の著作

投資教育

 10月27日の日経新聞の17面に”投資教育が必要な理由”という記事が出ていた。
投資に関する教育が必要か否かに関して言えば、私は否である。
何故ならば、投資教育と基本的に損切りである。
そして、数学に関する理解力である。
投資とは数学の能力の否かである。
教えるとしても、それは金融工学である。
この金融工学とは数学である。
前にNHKが放送したマネー資本主義は、数学の理解力のレベルの低さから、金融工学に関してはト学会並のトンデモ珍説を披露していたし、堀紘一氏も”世界連鎖恐慌の犯人”という本では、ほぼNHKと似た結論を描いていた。
故に、現在の日本で直接的に投資に関する教育を行う事は無意味である。
故に、投資に関する教育を行うには以下の教育を行うべきである。

1、宇宙は創造主が作った。
2、科学と工学の違い。
3、数学の理解力(特に四則演算後は、ある意味算数から数学への転換の第一歩になる。)

この3つは、現在騒がれている霞ヶ関に関する問題のほぼ100%を占めている問題である。

2009年10月23日 (金)

貧困の発生

 貧困の発生と小泉との関係性は無関係である。

 貧困の発生は、約20年前のプラザ合意にタンを発している。

 故に、貧困は、日本に真の意味で経済学部が存在していた場合は、発生していないが、日本にある経済学部は基本的に、偽者の経済学部であるため、発生しなくてもよい貧困が発生した。

 貧困の発生とは、比較優位により発生している(正確にはヘクシャー・オーリン)である。

 プラザ合意当時は、日米欧において、ヘクシャー・オーリンにより、地代・賃金等は均衡する。

 日米欧だけで、ヘクシャー・オーリンが発生する場合は、貧困は、他の国々に発生するが、日米欧には発生しないが、残念ながら世界規模でヘクシャー・オーリンが機能する場合、地球の経済状態が1国内で発生する。

 現在、日本国内に南北問題を発生することになった。

 故に、プラザ合意成立時に、貧困問題が発生することは、日本に経済学部が存在すれば完全に予測可能な出来事であるが、残念ながら日本には自称経済学部しか存在しないため、貧困問題が発生したのである。

 自由化はプラザ合意により決定されていたことであり、この件に小泉は一切関係ない。

 但し、小泉政権はリーマンショックによる、世界経済を破壊した責任は存在する。(今回のリーマンショックによる不況の閉路系モデルは90年代に起きたタイの通過危機を元に回路系モデルを作ると、今回の不況モデルとなる。わかりやすくいうとタイ国内消費を欧米がにない、通貨部分を日本が担ったという前提で構築することになるであろう。)

家産官僚と依法官僚

 家産官僚とは、中世の官僚であり、特徴は私金と公金の区別が付かず、常に恣意的に行動する役人である。
これに対して、依法官僚とは、法によって行動する官僚である。
そしてこの家産官僚も依法官僚は役所にもいるし、企業にもいる。
この家産官僚の典型的人物が、弘兼憲史氏の描く島耕作こそ、典型的家産官僚であり、高等文官試験以降大量に採用してきた全員が家産官僚なのである。
その典型的家産官僚の典型的生態を弘兼憲史氏の描く島耕作氏の資質と行動から見ることが出来る。
弘兼憲史氏の描く島耕作は、作品を読むと常に無意味な公金(会社の金)による飲食を常に行っている。
即ち、公金と私金の区別が一切出来ないのは家産官僚の典型的特徴である。
過去も現在も各省庁が採用してきたキャリア官僚の全てが家産官僚であるため、各省庁や外郭団体がマッサージチェアを購入したり、宴会の経費などに使用するのは、彼らが依法官僚ではなく、家産官僚故に発生する問題である。
依法官僚には、公金と私金の区別は付くが、家産官僚にはその区別は存在しない。
島耕作氏は、自分の会社の関係者との会食を常に高級料亭や高級レストランで行い、逆に他者が高級レストランや高級料亭で飲食することを、徹底的に嫌悪する傾向も典型的家産官僚の生態そのものである。
例えば、京都の音響メーカーの社長が、料亭での宴会を提案すると、料亭で接待を断りながら、自分は同じ様な高級料亭で会社の関係者と飲食を楽しむという生態を見せている。そして自分と同じように会社の金で飲食を楽しむという行為を行う子会社の人々を嫌うという傾向も家産官僚の特徴である。
これは、役人の生態として描かれる時に必ず描かれる役人の行動様式であるが、これと全く同じ行動を島耕作氏もとるのは、役人が官僚であるのに対して、島耕作氏は、民僚故に、同一の行動様式と思考形態がある。
中国やロシアに行くが、これは殆ど私的旅行といって良いものである。
会社の金を使い、役員だけで、高級クルーザーを使ってのリゾート観光、平日の会社の金を使った役員同士のゴルフなどは、新聞で問題視されている、税金での野球大会や卓球台の購入やマッサージチェアの購入と何ら違うことではないし、取締役時代に中澤氏から提供された会社のマンションの私的流用などは、本来会社としては不要なマンションであれば、売却すべきであるが、このマンションを私的流用する事を、何の問題もないと思考するのは、私金と公金の区別が一切分離できない家産官僚の行動である。
普通に考えれば、島耕作とは人間の風上にもおけない極悪人であるが、これは家産官僚の特徴的行動に過ぎない。
また、家産官僚は、無意味な事業を行ったり、事業の途中でそれぞれの部署の家産官僚が資金を抜くのも家産官僚のお家芸の一つである。
島耕作氏が初芝電器の社名を変更した行為と清朝末の女帝が軍艦の建造費を使い庭園を造った行為は、全く同一の行為である。この時、モデルとされる松下電器が社名をパナソニックと変更した行為と同一視という知的障害な認識をジャナーリズムという三歩歩くと全て忘れるという人々のおかげで同一視されたに過ぎない。
しかし、松下電器と初芝電器とは、社名とブランド名に関しては全く無関係である。
会社名  松下電器  初芝電器
国内ブランド名 ナショナル ハツシバ
海外ブランド名 パナソニック ハツシバ
である。
故に、初芝のブランド力が弱いのは島耕作氏の所属していた出身母胎である宣伝部の能力が著しく劣るため、初芝のブランド戦略が失敗したのである。
これを、他の役人に問題視されると困る、極悪人島耕作は、二者が合弁されることを理由に強引に社名変更を行い、問題を消すという行為に走るのだが、現実の社会でこれを行えば、この社長は他の役人に弱みを捕まれた状態になるため、島耕作氏は自身の権力保持のため、他の役員を会社の金を使って買収する行為を行わなければならなくなるため、島耕作氏は役員接待の為、連日料亭通いを行わなければならなくなり、役員がこの様な状態では会社の志気は著しく低下し、業績も釣瓶落としの様に悪化していくことになるが、島耕作氏は一様ヒーローなのでマンガの中では業績が上昇するように描かれるであろう。
この極悪人島耕作には、極悪人にふさわしい人間性を課長時代に見ることができる。
課長時代に京都でパン焼き器のパンを食べ、”まずいから専門家に相談しろ!”というが、普通に考えれば、島耕作に鋭敏な味覚が存在しない以上、元々京都の工場にいた人々も知っていて、専門家に相談したり自分達で工夫して現在に至るのに、その事事態に気付かないのも、極悪人たる家産官僚の生態を出し切る島耕作であるが、この極悪人島耕作は、1日か2日このパンを食べて、飲み屋でがんばってるボクちゃんという風に飲み屋のママに話すのも極悪人振りを示している。この同時期に描かれた、”なぜか笑介”という作品では、弁当業界に進出した会社の部長が何食もの弁当を吐きながら食べている事を直属の部長に話したとき、”もし、五井が弁当業界に進出したのなら、弁当を見ると吐き気が出るくらい食べるのはサラリーマンとしては当然の事だ!”という言葉と家産官僚島耕作氏の行動の対比が出てくる。
島耕作氏の思考は、サラリーマンとしてはまるでダメであるが、家産官僚の思考としては妥当な思考であると言える。
この京都時代に奇蹟の極悪人島耕作は、自分の為に嫌な男に抱かれた女を、生ゴミの様に捨てるという才覚も示している。
これも、自分以外の人間がいかなる目にあおうと一切関係ないという家産官僚の家産官僚たる行動を、この奇蹟の極悪人島耕作は見せており、これは、太平洋戦争中多くの日本人を赤紙で戦場に送り、殺しながら自分の子供は誰一人として、戦場と関係ない土地で生活させた、同じ精神を有する東条英樹と同一の行動様式であるのは、二人が同じ家産官僚故の行動と見て良いし、この日本型家産官僚の元ネタである、中国の家産官僚たる科挙試験合格者も、日本型家産官僚と同一の行動をとるのは、科挙システムより作り出される官僚は、すべからく家産官僚となることを示しているといって良い。
島耕作氏は、科挙の合格者ではないし、現代の科挙制度である高等文官試験の合格者ではないが、現在の文化系大学の入学試験は、広義の意味で科挙制度といって良いため、家産官僚が次々と生み出されてくるのである。
科挙制度とは、模範解答があり、この模範解答を完全に記憶し、この記憶を試験で再現する事が求められる制度であり、これは科挙と同一の試験形態である。故に現在の試験制度と非常に酷似しているのである。
この制度の問題点は、模範解答が成立以前において正しいかった思考形態を記憶するという点に重きを置くことにある。
故に、この科挙制度の適応者は常に伝統主義者になる。
この島耕作氏に代表される科挙制度の適応者のなれの果てである家産官僚の存在が、日本をダメにしてきた人々の行動の典型的行動である。
そして、島耕作氏が優秀な家産官僚であると同時に、日本のキャリア官僚とは、典型的な家産官僚である。
この家産官僚を依法官僚に切り替えることが、企業や政府(地方含めて)の課題である。
とりあえず政府の対策としては、大臣の元に20人前後のチームを作り各省庁に行き、チームとして活動するが、この人たちは、基本的に大臣が去れば、役所から去るため、依法官僚になることになる。
この人たちを段階をおって少しづつ官僚機構に入っていけば、キャリア官僚という家産官僚を駆逐する事は可能となるため、日本の中央官庁から家産官僚を放逐し依法官僚へ以降は可能になるのである。
この家産官僚を放逐し、依法官僚に変えることが、日本の重要な試作の一つである。
また、これから必要な人材の一つは、今までのような記憶力の再現力が出来る人と称する犬か猿のレベルの人ではなく、習ったことを理解し、応用出来る人が必要である。
年金問題も犬や猿の回答は、社保庁の新組織を作ったり、国税庁と合体し歳入庁を作ると言った、全く無意味な回答しか書けないのは、彼らが犬や猿が調教を受けたレベルの能力しかないからである。
犬の回答である、社保庁の親組織では、単なる名前を変えただけの話である。
また、猿の回答である、歳入庁も、元の組織である国税庁は、1ー2年の金の管理は行うが60年もの金の管理を目的とした組織ではない。
故に、犬の回答も猿の回答もどちらも誤った回答に過ぎない。
年金の問題は、本来リレーショナルデータベースで作成しなければならないものを表計算型データベースで設計したという旧厚生省の年金系のキャリア官僚が全員実質学力が小学校未入学レベルであったからに過ぎない。
しかし、世の中の大半のデータベースと称するものは表計算型データベースである。
なぜならば、表計算型データベースで作れば、バカでも素人でもデータベースを作成する事が可能であるが、採用した表計算とは、それぞれの縦横のコラムは元々何の関わりもなく存在しているため、エラーや記録漏れがあったとしても発見できないし、結婚した人が性が変わった場合、性が変わる前のコラムと性が変わった後のコラムにも何の関連性もないため、今回の記録漏れが発生したのである。
本来データベースはリレーショナルデータベースで作成しなければならないが、これは厚生省の旧年金系キャリア官僚が年金を預かり支払う過程における全作業を理解した上でシステムを設計するという行為を行われなければならないが、このシステム設計は、文化系という小学校未入学者が行うことは、エベレストを素裸で無装備で裸踊りを踊りながらエベレストを登頂するより難しい行為である。
しかし、この文化系という小学校未入学者でも誤らないというものを各地方自治体は持っているのである。
即ち、戸籍制度と住民票である。
年金の解決策は、集める行為を元々の各地方自治体に移管し、集めた金を国税庁の名前替え組織である歳入庁で実施するというプランを実行すればよいのである。
そして、旧社保庁の職員と旧厚生省の年金系キャリア官僚は、全員を陸上自衛官として転籍させて、死傷9割を越えるアフガニスタンに要因として派遣を行うで、基本的部分は全て済むし、この人員移動プランは、高速道路無料化で国道と化す高速自動車道会社の部長職以上の移動先としても最適だし、全省庁のキャリア官僚の天下り先としても最適である。
外郭団体に移動する前の研修先として、陸上自衛官としてアフガニスタンへ2ー3年派遣するという処置を行えば、誰も天下りしたいとは考えないものである。
何の訓練を受けていないものが、アフガニスタンでⅠヶ月以上活動することは不可能である。

郵政社長 斉藤氏へ 小泉郵政改革の完了

 郵政の社長が、元大蔵次官の斉藤氏になったことで、小泉改革の終演といっているが、これこそが小泉氏の狙いである。
小泉氏は、元々大蔵族の族議員であった、この大蔵族の族議員である小泉氏は、日本最大の金融機関であり、保険会社を旧郵政省の所轄から大蔵省の所轄へ移動させることが、小泉氏の言う郵政改革の意味である。
この小泉氏の所轄変更に力を貸した、無法型個人利益追求主義の竹中氏が、郵便局を民営化するときに、個人的スポンサー達に利益をばらまく事を行っていたのが、これまで行われていた郵政改革と言われるもので、中心の課題は総務省から財務省への所轄の変更が、小泉氏の郵政改革であるため、斉藤氏という、元大蔵次官が社長に付くことで、小泉氏の郵政改革は完了したのである。

いくら吠えても移転出来ない

 鳩山総理のCO2の25%削減に対して財界人達は海外移転であると吠えているが、実はこんなことは出来ないことは、彼らは分かっていながら言っているに過ぎない。
もし、本当に分からずに話しているとすれば、典型的な1940年代生まれという名のバカに過ぎない。
この理由は、日本は世界最高レベルの生産管理技術を有しているが、生産管理学は世界最低であることは、世界中が知っていて、知らないのは官界と政界と新聞・TVだけという世界である。
即ち、海外へ移転するためには、高いレベルの生産管理学がなければならず、今のレベルで海外移転とは、全社員で海外へ移転するという意味にしかならない。
定年まで海外の工場ですごせと命じれる経営者などは存在しない。
故に海外移転は出来ないのである。
白痴な官界・新聞TVは、この真実を知らないため、垂れ流しているに過ぎない。
アメリカが簡単に海外移転を行うのは、彼らが高い生産管理学を有しているだけである。
故に、海外移転において社員を首を切ることを平気で出来るのである。
昔、日米貿易摩擦のおりの本当の問題は、アメリカで生産するには、アメリカの労働者の賃金が他国に対して高かっため、工場の海外移転を行ったのだが、これを理由に出来ないため、官民あげて日本車が不当にやすい金額でアメリカに輸出しているという嘘の論点を上げた。
これを証拠にアメリカの労賃が下がるとアメリカ企業はアメリカで生産しだしたのだが、これが出来るのはアメリカには高い生産管理学の知識があったためであるが、日本は非常に高い生産管理術は存在するが、生産管理学は逆に世界最低であるため、簡単に工場移転は出来ない。
財界関係者の言っていることは、ブラフに過ぎない。 

«日米安全保障条約

最近のトラックバック

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30